2024年5月上旬発売『「高齢期」を私たちはどう生きるか』発刊記念連載
高齢者と社会貢献(7)(最終回)

静岡市内の「高齢者学級」で、当事者である高齢者に向け「高齢者論」を説く静岡大学名誉教授の小櫻義明氏が、その講義内容をまとめた書籍『「高齢期」を私たちはどう生きるか――「老い」と「死」を見据えながら、「社会」とかかわる』を日本医療企画より刊行する。この発刊を記念し、当サイトで著者からのメッセージを全7回(予定)にわたり掲載していく。

「戦争を知らない子どもたち」が、現在、高齢者となって多数派になりつつあります。彼らは、自己の欲望・欲求の充足を自由に追求することが社会的に許された最初の世代となります。そして彼らは今、自分の人生に終わりが近づいていることを自覚し、自らの人生を振り返ることになっています。それを踏まえて、それぞれが高齢期を生きることになるのですが、そこでは「自由に生きる」ことの意味と意義、その問題点が問われます。

戦後生まれの高齢者は戦時の自由が制約された社会を伝え聞いており、かつ戦後間もない時期の生活苦を知っています。だから社会に強い関心を抱き、戦後の平和と民主主義を擁護する社会運動に参加しました。それと同時に「自由に生きる」ことに喜びを感じて生きてきました。しかし、その後の世代にとって「自由に生きる」ことは前提となり、そこで生じる様々な問題で悩むことになります。

それは「生存」や「安全」が保障されるようになったことを踏まえて、「所属」と「承認」の欲求が強くなったことから生じたものです。それが「自分らしく生きたい」というが願望となりますが、そこでは社会への関心は低下し、自己の欲望充足に専念する「自己中心主義」が蔓延していきます。そして「自分らしく生きる」ための競争が、個別に分断された個人間で激しく展開され、勝者と敗者の間の格差が大きくなります。

自力で自由に生きることが「自助」と称賛され、競争に敗れた弱者の救済は「公助」に委ねることが求められ、結果として「助け合い・支え合い」としての「互助」が減少していきます。しかし、人間はひとりでは生きていけない存在であり、「個」としての生存には限界があります。だから成長すると性的な欲望が高まり、その充足を求める行動として誰かを「好き」になります。これが「愛する」ことです。

それは自分が「幸せになりたい」からですが、そこには相手を「幸せにしたい」という願望も含まれています。そのためには互いに自立した人間としての対等平等な関係の下での信頼と愛情が必要であり、それが「寄り添い」の関係となります。それは恋愛だけでなく、結婚後の夫婦の関係や子どもとの関係でも重要となります。さらに、それは「介護」や「福祉」、近隣の住民の間にも必要なものとなります。

なぜなら「寄り添う」とは「自立した人間相互の関係」を意味し、そこには「自立を促す」ことも含まれるからです。しかし、それに気づくためには多くの失敗・試行錯誤が必要であり、この点で高齢者こそが「寄り添う」ことに適した存在だと思います。それは長い人生経験から「密着」することの限界を知っているからであり、互いの自由を尊重して距離を置きながらの「助け合い・支え合い」が出来るからです。

ただ気がかりなのは「自己中心主義」の生き方をしていると、自分が傷つくことには敏感だが、他人が傷つくことには鈍感になる点です。そして「自己中心主義」の生き方を高齢期になっても貫こうとして、家族を苦しめ・自分を傷つけることになります。そうならないために、私は高齢者夫婦のあり方や介護の問題さらに大人になった子どもとの関係について、「高齢者学級」で「寄り添い」をテーマとして話し合うことを提案します。

ここで重要なのは「介護」の問題です。多くの男性は妻に介護されることを望んでおり、それを当然とする一方で妻を介護することには否定的です。それをしたくないから妻よりも早く死にたいと公言する男性もいます。それは家事・育児を妻に任せてきたために、男性には介護するだけの能力がないことが理由になっているようです。確かに高齢の男性にとって妻の介護の負担は大きいのですが、「寄り添い」という「心の介護」は出来ます。

「密着」しておこなう身体介護は「仕事」としておこなう人に委ね、自分は妻に寄り添い、妻にとって望ましい介護をするように伝えることは出来ます。私自身、障害者となった妻の介護を43年間しており、最後は特別養護老人ホームに入所した妻のもとに毎日通い、自分での出来る介護をおこなってきました。食事や排せつ・入浴などは職員に任せて、私は妻が好きなテレビ番組などを録画し、それを一緒に見ながら妻と会話をしていました。

また、妻を車いすに乗せて、施設の周辺を散歩することもしていました。妻は私の顔を見ると喜んでくれて、それだけでも「心の介護」になったと思っています。やがて妻の認知症が進行し、私が誰か分からなくなりましたが、最後に妻は私に「結婚しよう」と言ってくれました。現在、私は「手元供養」を選択し、妻の遺骨は私が寝るベッドの横に置いており、私が亡くなった後、私の遺骨と共に納骨することを娘に頼んでいます。

私も妻との出会いの当初は「密着」した関係であり、結婚すると私が仕事に専念するために、妻に「自己犠牲と献身」を求めた時期もありました。しかし妻が障害者になると、妻に甘えることは許されず、次第に「寄り添い」に移行していくことになります。もし、妻が病気にならなければ、私は妻に甘え続けることで喧嘩となり、別れたかもしれません。私は妻への介護によって「密着」から「寄り添い」へ移行できたと思っています。

子育てを終えた高齢期になって、夫婦や子どもとの関係のあり方に悩んでいる高齢者は多いはずです。そして直面するのが「老老介護」となりますが、私の場合、それが「生きがい」「喜び」となりました。それは「寄り添う介護」となったからであり、そのためには「家族」の関係を「密着型」から「寄り添い型」に転換することが必要です。それを家族内で確認し、互いの自立に向けての準備を始めることが望ましいと思います。

そして、夫婦のどちらかが「要介護」になったことを想定し、誰が介護をするかを子どもも含めて話し合います。ここで重要なのが互いの信頼関係・愛情の度合いであり、それは言葉ではなく、これまでの言動や人間性から評価されることになります。もし男性が妻に冷たい仕打ちをしていれば、「介護」で仕返しをされることも覚悟すべきです。他方で男性が苦労を掛けた妻への感謝の気持ちでおこなうと、それは「償いの介護」となります。

ただ「老老介護」の場合、老いによって介護者の介護力の低下は避けられないので、「他人でも出来る介護」として公的な介護サービスを積極的に利用すべきです。そして家族や夫婦にしか出来ない介護を考えておくことが必要です。そのためには「何処の」「どのような」公的サービスを「どの程度」利用するかをチェックすべきです。そして「顔を見る」「会話する」「安心させる」という家族にしか出ない「心の介護」を目指すべきです。

▼バックナンバーはこちら
高齢者と社会貢献(6) 2024年5月21日更新
高齢者と社会貢献(5) 2024年5月7日更新
高齢者と社会貢献(4) 2024年4月30日更新
高齢者と社会貢献(3) 2024年4月23日更新
高齢者と社会貢献(2) 2024年4月16日更新
高齢者と社会貢献(1) 2024年4月9日更新

「高齢期」を私たちはどう生きるか_表紙
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小櫻義明(静岡大学名誉教授)
こざくら・よしあき●
1945年、広島県生まれ。1974年、京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。大学での研究分野は「経済学 地域政策論」。同年、静岡大学人文学部経済学科へ赴任し、「静岡地域学」を生涯のテーマとする。以来、専門分野にこだわることなく、アカデミズムに背を向け、自治体の政策・施策・事業の研究調査を行い、静岡県や静岡市などの自治体の各種の委員も数多く歴任。
地域住民による「地域づくり(まちづくり・むらおこし)」にも強い関心を持ち、静岡県内の地域づくり団体の交流や、先進事例の視察・調査を行い、助言者・講師としても活動。さらに自らの講義内容を実践に移すべく、静岡市の過疎山村の限界集落で住民と共に「むらおこし」も始める。2007年、妻や妻の母の介護を行うため、大学を早期退職。地域の民生委員・児童委員を3期(12年)務め、地域福祉のボランティア活動や高齢者向けの活動に従事する。
定住する過疎集落では、地元野菜の販売やソバなどの軽食を提供する「磨墨庵」(現在は営業停止)の運営や、農家の自宅の縁側でお茶とお茶請けを提供する「縁側お茶カフェ」を企画。車の運転ができない高齢者を対象にした「買い物ツアー」や「出前福祉朝市」、老人クラブでの「懐メロ・映画サロン」なども実施する。妻の死後、2年間は引きこもり状態だったが、現在は回復し、自身の研究の取りまとめを行っている。
主な著書に『介護恋愛論――愛する心を持ち、愛する技術を磨く』(日本医療企画)、『「静岡地域学」事始め(ことはじめ)~静岡県・静岡市・浜松市の特性と課題~』(発売:静岡新聞社)などがある。

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