2024年5月上旬発売『「高齢期」を私たちはどう生きるか』発刊記念連載
高齢者と社会貢献(3)

静岡市内の「高齢者学級」で、当事者である高齢者に向け「高齢者論」を説く静岡大学名誉教授の小櫻義明氏が、その講義内容をまとめた書籍『「高齢期」を私たちはどう生きるか――「老い」と「死」を見据えながら、「社会」とかかわる』を日本医療企画より刊行する。この発刊を記念し、当サイトで著者からのメッセージを全7回(予定)にわたり掲載していく。

人間の「性」には、「快楽」「生殖」「愛情」という三要素があります。近代以前の場合、「家族」の継承のために「性」は「生殖」の視点から取り上げられます。これに対して近代では、結婚が個人の自由意思に委ねられるために、性的魅力に関わる「快楽」が重要になってきます。ここから言えるのは「家族」とは、「生殖」から生じた「親子」という「縦糸」と「快楽」から始まる「夫婦」という「横糸」が交錯する所に存在する点です。

そして「親子」と「夫婦」の関係を包み込むのが「おもいやり・やさしさ」の感情としての「愛情」となります。こうして「生殖」「快楽」「愛情」という「性の三要素」が「家族」の繋がりを支えるのですが、この三要素の関係は社会のあり方によって異なります。実際、近代以前の社会では「縦糸」としての「親子」に関わる「生殖」が重視され。近代になると「横糸」としての「夫婦」を繋ぐ「快楽」が大きな意味を持ってきます。

近代以前の社会では、男性の血筋の継承を制度化した「家父長制」の下での「家族」が基本とされ、そこでの「性」は「生殖」のためでした。そして「快楽」としての「性」のために、男性には「売春」という仕組みが作られ、そこに出向くことで性欲を満たしていました。他方で女性に対しては、「快楽」としての「性」を求めることは別な男性の血筋も持ち込むことへの警戒から危険視され抑制されていました。

そして「売春」という仕組みに組み込まれた女性は、男性の「快楽」への奉仕のみが強要され、「生殖」となることは禁止されていました。そのなかで「愛情」は、宗教や文学・芸術などにおいて抽象化され美化され賛美されますが、政治では「愛情」の対象を「家族」の存続と繁栄に向けることが求められ、同時に「家族」の背後に存在する「国家」に「愛情」が向けられることも強要されることになります。

これが前近代の社会における「家父長制」の下での「性」の実態でした。しかし近代以降、自由な恋愛や結婚が可能になると、両者を結びつける最初の要素として「快楽」としての「性」が重要になります。それは性的機能の発育による「性欲」が若者に大きな影響を及ぼすからであり、その充足による「快楽」が目的とされるようになります。だが、その行為の結果が「生殖」になると、「快楽」は制限・制約されることになります。

「性」における「快楽」と「生殖」は連続するものですが、両者は異質なものでもあり、切り離すこともできます。特に避妊や中絶が容易になり普及していくと、「生殖」と切り離された「快楽」の一面的な追求としての「性の解放」が進行していきます。避妊や中絶は「生殖」を自主的にコントロールするために必要ですが、「快楽」だけを求める性行為を助長することは問題です。

ただ、「快楽」だけの性行為の繰り返しは、マンネリ化することで性的刺激への反応を鈍化させます。相手を変えることで刺激の維持を図っても、結局、同じことの繰り返しになってしまいます。そこで安定した「生活」のために結婚に踏み切ることになります。すると「性」は夫婦間に限定され、「生活」の一部となります。さらに子どもを産み育てるようになると、「性」における「生殖」と「愛情」の要素が強まります。

そして、「性」は「家族」を支えるための夫婦の間の信頼と愛情の確認の意味が強くなり、「性の三要素」の統一がなされます。しかし、三要素のバランスでの個人差は大きく、それは加齢によっても変化していきます。特に問題となるのが、結婚後の生活の中で生じる様々な問題への対応での夫婦間の意見の違いであり、それが解消されないと互いの不平・不満として蓄積されていきます。

それは夫婦間の「性」にも影響を与え、それによる「愛情」の確認が出来なくなると、不倫や売春の利用で性的欲求を充足させようとしたり、「性」以外の趣味などに没頭して「快楽」を得ることをしたりして、夫婦間の「性」による「愛情」の確認が出来なくなってしまいます。これは親子間では無関係の問題となりますが、夫婦にとっては重要です。なぜなら、夫婦間の愛情の希薄化・欠落は、親子の関係をも壊す危険性を持っているからです。

この「性」の問題は、高齢者にとって若い頃からオープンに議論できない問題であり、「性」への関心も加齢によって低下していきます。しかし、一部の高齢者にとって、それは「老い」の自覚と不安を駆り立てるものとなります。そして、その不安の払拭のために金と権力を使ってまで性欲を満たそうとする行動をとる高齢者も出てきます。しかし、それは一時的な快楽に過ぎず、それが幸福感や自己肯定感の向上にはなりません。

高齢者にも「性欲」があることは確かですが、それを否定・無視するのではなく、「性の三要素」のひとつとしての「愛情」を満たすことが重要となります。なぜなら、それによって「幸福感」「自己肯定感」が高まり、他者への気配りや感謝の気持ちが持てるようになるからです。そして、それは自己の欲望・欲求の排他的な追求を抑制するものとなり、性的な刺激や接触を求める過度な意識や感情を鎮静化することになります。

この点で参考になるのがお笑い芸人の松本人志氏の「性加害疑惑」です。彼は60歳で初老になっていますが、未だに後輩芸人を使って若い女性を高級ホテルに呼び寄せ、そこで自らの性欲を満たしてくれる女性と関係を持とうとしています。それは彼の性欲の異常さだけでなく、老いによる自己の性欲の衰えへの危機意識にも起因していると思います。大切なことは「性欲の充足」が「幸福感・自己肯定感の向上」になっているかどうかです。

ちなみに日本は世界でトップクラスの経済大国になっていますが、幸福度ランキングでは低迷したままです。その要因は様々ありますが、注目されるのが自己肯定感の低さであり、欧米と比較すると半分の比率となっています。この自己肯定感は「愛されたい」と「求める」だけでは向上しません。他者に認めてもらう・感謝されることが必要であり、それは「愛する=与える」ことで可能になります。

ボランティア活動に関する調査では、それをおこなっている人ほど「満足度」が高いことが明らかとなっており、日本人のボランティアの少なさが「幸福度」の低さの原因ともされています。松本氏も、困っている人・苦しんでいる人を助ける活動を実践し、そこに後輩芸人を巻き込めば、そこで感謝され認められることになったはずです。これは私たち高齢者にも、様々なことを教えてくれています。

▼最新回はこちら
高齢者と社会貢献(4) 2024年4月30日更新

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高齢者と社会貢献(2) 2024年4月16日更新
高齢者と社会貢献(1) 2024年4月9日更新

「高齢期」を私たちはどう生きるか_表紙
※書籍の詳細情報・購入については近日中にお知らせいたします

小櫻義明(静岡大学名誉教授)
こざくら・よしあき●
1945年、広島県生まれ。1974年、京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。大学での研究分野は「経済学 地域政策論」。同年、静岡大学人文学部経済学科へ赴任し、「静岡地域学」を生涯のテーマとする。以来、専門分野にこだわることなく、アカデミズムに背を向け、自治体の政策・施策・事業の研究調査を行い、静岡県や静岡市などの自治体の各種の委員も数多く歴任。
地域住民による「地域づくり(まちづくり・むらおこし)」にも強い関心を持ち、静岡県内の地域づくり団体の交流や、先進事例の視察・調査を行い、助言者・講師としても活動。さらに自らの講義内容を実践に移すべく、静岡市の過疎山村の限界集落で住民と共に「むらおこし」も始める。2007年、妻や妻の母の介護を行うため、大学を早期退職。地域の民生委員・児童委員を3期(12年)務め、地域福祉のボランティア活動や高齢者向けの活動に従事する。
定住する過疎集落では、地元野菜の販売やソバなどの軽食を提供する「磨墨庵」(現在は営業停止)の運営や、農家の自宅の縁側でお茶とお茶請けを提供する「縁側お茶カフェ」を企画。車の運転ができない高齢者を対象にした「買い物ツアー」や「出前福祉朝市」、老人クラブでの「懐メロ・映画サロン」なども実施する。妻の死後、2年間は引きこもり状態だったが、現在は回復し、自身の研究の取りまとめを行っている。
主な著書に『介護恋愛論――愛する心を持ち、愛する技術を磨く』(日本医療企画)、『「静岡地域学」事始め(ことはじめ)~静岡県・静岡市・浜松市の特性と課題~』(発売:静岡新聞社)などがある。

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