2024年5月上旬発売『「高齢期」を私たちはどう生きるか』発刊記念連載
高齢者と社会貢献(6)

静岡市内の「高齢者学級」で、当事者である高齢者に向け「高齢者論」を説く静岡大学名誉教授の小櫻義明氏が、その講義内容をまとめた書籍『「高齢期」を私たちはどう生きるか――「老い」と「死」を見据えながら、「社会」とかかわる』を日本医療企画より刊行する。この発刊を記念し、当サイトで著者からのメッセージを全7回(予定)にわたり掲載していく。

私が「高齢者学級」に提案する次の課題は、自分の遺伝子を受け継いでいる子どもや孫・その後に続く子孫を対象に、先祖となった自分からの「伝言」の作成です。それを映像や音声と一緒にメモリーカードに記録し、遺影の下に張り付けておけば、数年・数十年先であれば子どもや孫が、さらに数百年後には子孫が観て聴いてくれるかもしれません。そして、それが何かの参考になれば残した甲斐があります。

私たち高齢者が他の世代より優れていることは、長く生きてきたことによって多くの経験を積んでいること、また、昔のこともよく知っていることです。しかし現在では、それを話す機会も、聞いてくれる相手もいません。話そうとしても嫌がれるだけです。だから高齢者は話す気もなくなり、あきらめているのが現実です。それは高齢者も若い頃、高齢者の意見を聴こうとしなかったのと同じであり、責めることは出来ません。

私自身も、若い頃、親や祖父母の話を聞きたいと思ったことはありません。しかし、自分が高齢者になると、自分の両親や祖父母のことが気になり、知りたいという感情が湧いてきます。今の自分と同じ年齢の親や祖父母は何を考えていたのか、悩み事を聴いてもらいたいし、意見も聞きたいと思う時があります。だが、その時には祖父母や両親も亡くなっており、聞きたくても聞けないのです。

最近、私はNHKの「ファミリーヒストリー」という番組を観るたびに、自分の先祖はどんな人だったのかを知りたくなります。しかし、テレビ番組に出演し、調べてもらっているのは有名人であり、普通の人間が調べようとしても時間も費用も掛かるので不可能です。また、長い歴史のある家柄であれば記録も残っているでしょうが、無名で普通の家であれば調べても何も出て来ないはずです。

そこで先祖について調べるのが不可能でも、自分もやがて先祖になるのだから、自分が先祖として子孫に何かを残せばよいと思いついたのです。その時に参考になるのが、昔のテレビ番組でみた「ビデオレター」です。田舎の旧家を訪ねると仏間に先祖の写真が並んでいるのを見かけます。それを観るだけでも価値があるのですが、映像や音声があれば親近感が増すはずです。今の時代であれば、手持ちのスマホで簡単に出来ます。

そこで重要になってくるのが、何を伝えるのか、「伝言」の内容です。類似のものとして、昔から「遺言」があり、最近では終活におけるエンディングノートや自分史の作成もブームになっています。しかし遺言とは、自分の死後に「どの財産を・誰に・どのような形で・どれだけ渡すか」の意思表示が中心であり、法的な強制力のないエンディングノートも人生の終末についての自分の希望が中心となっています。

「自分史」は自分の生涯あるいは半生を文章化したものであり、書き残す価値はありますが、その内容が自慢話や愚痴ばかりになると読まれなくなります。「伝言」なので、簡単で心に響く短い文章が望ましいことになります。「自分史」を書いた人なら、それを読みたくなるような文章を「伝言」とすべきです。自分の人生で誇ることがあれば、それも短く書けばよいし、失敗について述べるのも子孫には役立つかもしれません。

さらに「伝言」の作成は、それが読まれなくても、人生を振り返ることで意味があります。なぜなら昔のことを思い出し、それを話すことで脳の血流が良くなり、認知症の予防に繋がるからです。以前は高齢者が昔を懐かしく思い出し話すことは、現実逃避でありうつ病の前兆とされていたようですが、現在では高齢者であれば当然のこととされ、「老化」を抑制し認知症の予防に効果があるという認識が一般的になっています。

それを最初に明らかにしたのはアメリカの精神科医であるロバート・バトラーであり、彼は1960年代に認知症の予防・治療のために「回想法」という心理療法を提唱しています。そして、それは世界に広がっていますが、日本での取り組みはまだ遅れています。そこで「伝言」の作成のために、高齢者が記憶に残っている昔の出来事・経験を語り合えば、それが新治療法としての「回想法」になります。

私は既に老人クラブに依頼されて、戦前・戦時・戦後の懐かしい流行歌や映画を楽しんでもらう活動をおこなってきました。多くの高齢者に喜んでもらいましたが、それを「高齢者学級」では歴史学習として位置付け、そこから今の時代に伝えたいこと・残したいことを「伝言」として残すことを提案したらどうでしょうか。そのために考えた「伝言」をみんなに聞いてもらって、そこで出された意見を参考に「伝言」を書き直すのです。

この活動をテレビ局に取材してもらい、「高齢者の、高齢者による、高齢者のための番組づくり」に発展させることも考えられます。なぜなら、今、若い人はテレビよりはユーチューブ等をみるようになり、テレビを観なくなっています。その結果、私たち高齢者がテレビの視聴者の中心になっているのですが、番組の多くは若い人を対象にしたものであり、高齢者にとって楽しい明るくなるような番組が少ないのが現実となっています。

そこで「高齢者学級」を取材してくれた地元のテレビ局と連携して、「高齢者の、高齢者による、高齢者のための番組づくり」に取り組むのです。そして、この「伝言」の作成を番組にしてもらうのですが、その事前の準備として自分や周囲の高齢者が一日に何時間、どのようなテレビ番組を見ているかを調査し、評価や感想を述べて意見交換をおこないます。そして番組作成に対する提案として「伝言」の作成をだすのです。

この過程も番組にすれば、「高齢者学級」への関心も深まり、「伝言」作成の番組への期待・関心も高まります。「遺言」とは別に、自分の遺伝子を受け継いでいる子孫に向かって、親しみを込めた「伝言」として残すのであれば多くの高齢者が番組を観てくれるはずです。顔も知らない数百年後の子孫に向かって、「伝えたい」ことを映像や音声で記録として残すのです。変顔だけをみせて、「人生を楽しめよ!」の一言でもいいのです。

「ふざけている」と叱られてもいいし、「腹を抱えて笑う」子孫がいれば楽しくなります。悪いことが生じて落ち込んでいる子孫に向かって「お前が悪いのではない。先祖である自分の責任だ。悪いことがあれば、俺の名前を呼べばいい。俺が助けにいくから」という言葉でもいいのです。大切なことは、自分という人間が生きていたという証を示し、それを子孫に伝えることです。

▼バックナンバーはこちら
高齢者と社会貢献(5) 2024年5月7日更新
高齢者と社会貢献(4) 2024年4月30日更新
高齢者と社会貢献(3) 2024年4月23日更新
高齢者と社会貢献(2) 2024年4月16日更新
高齢者と社会貢献(1) 2024年4月9日更新

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小櫻義明(静岡大学名誉教授)
こざくら・よしあき●
1945年、広島県生まれ。1974年、京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。大学での研究分野は「経済学 地域政策論」。同年、静岡大学人文学部経済学科へ赴任し、「静岡地域学」を生涯のテーマとする。以来、専門分野にこだわることなく、アカデミズムに背を向け、自治体の政策・施策・事業の研究調査を行い、静岡県や静岡市などの自治体の各種の委員も数多く歴任。
地域住民による「地域づくり(まちづくり・むらおこし)」にも強い関心を持ち、静岡県内の地域づくり団体の交流や、先進事例の視察・調査を行い、助言者・講師としても活動。さらに自らの講義内容を実践に移すべく、静岡市の過疎山村の限界集落で住民と共に「むらおこし」も始める。2007年、妻や妻の母の介護を行うため、大学を早期退職。地域の民生委員・児童委員を3期(12年)務め、地域福祉のボランティア活動や高齢者向けの活動に従事する。
定住する過疎集落では、地元野菜の販売やソバなどの軽食を提供する「磨墨庵」(現在は営業停止)の運営や、農家の自宅の縁側でお茶とお茶請けを提供する「縁側お茶カフェ」を企画。車の運転ができない高齢者を対象にした「買い物ツアー」や「出前福祉朝市」、老人クラブでの「懐メロ・映画サロン」なども実施する。妻の死後、2年間は引きこもり状態だったが、現在は回復し、自身の研究の取りまとめを行っている。
主な著書に『介護恋愛論――愛する心を持ち、愛する技術を磨く』(日本医療企画)、『「静岡地域学」事始め(ことはじめ)~静岡県・静岡市・浜松市の特性と課題~』(発売:静岡新聞社)などがある。

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