2024年5月上旬発売『「高齢期」を私たちはどう生きるか』発刊記念連載
高齢者と社会貢献(4)

静岡市内の「高齢者学級」で、当事者である高齢者に向け「高齢者論」を説く静岡大学名誉教授の小櫻義明氏が、その講義内容をまとめた書籍『「高齢期」を私たちはどう生きるか――「老い」と「死」を見据えながら、「社会」とかかわる』を日本医療企画より刊行する。この発刊を記念し、当サイトで著者からのメッセージを全7回(予定)にわたり掲載していく。

戦前・戦時、日本では「国を愛する」という「愛国心教育」によって、「勤勉・節約・我慢」が強要されていました。それが解除されるのは敗戦後ですが、個人の「自由」や「欲望」の充足が認められても、敗戦後の生活苦の中では「絵に描いた餅」に過ぎません。国民が「自由」を自覚し、自己の欲望充足に努められるようになったのは高度経済成長が始まってからです。

今の高齢者は戦時から戦後にかけて生まれた世代です。ただ、戦時・戦後の生活苦を体験した高齢者は減少し、戦後生まれで高度成長の中で育った高齢者が増加することで、高齢者の中での世代交代が進んでいます。昭和20年の3月生まれの私は戦時・戦後の生活苦を体験した最後の世代となりますが、このふたつの世代の違いが今後の高齢者の生き方に影響してくることを危惧しています。

私の場合、今でも鮮烈な記憶として残っているのが、広島市内に引っ越してきた時に教師から聞かされた被爆体験の話です。それをきっかけに、私は図書館で戦争に関わる本を多く読むようになり、戦場で死んでいった学徒動員の特攻隊員の手記に感銘を受けます。そして、日本を戦争に導いた指導者と社会への激しい怒りと同時に、自ら死を選んだ特攻隊員の生き方にも共感し、「自己犠牲と献身」を自分の生き方の指標とするようになります。

私は大学進学を契機に学生運動に参加しますが、やがて戦後生まれの後輩の学生との意識の違いに戸惑うことになります。彼らは自分が自由に生きるために運動に参加しており、社会への怒りも自分の自由を脅かすものへの反発によるものであり、そこにあるのは「怒りと憎しみ」の感情です。そのために彼らの運動は自己の主張の正当性に固執し、自らへの批判や異なる主張を厳しく批判・排斥することになります。

その結果、彼らの運動は分裂・対立を繰り返し、やがて「内ゲバ」とされる暴力的な抗争に発展していきます。この「怒りと憎しみ」の感情に基づく批判と反対だけの運動は、「新左翼」だけでなく「旧左翼」にも共通しており、そこにあるのは自らの運動や主張の正当性への陶酔でしかありません。それは国家のために「自己犠牲と献身」を強要した戦時の「愛国心教育」と類似したものとなっています。

そのような社会運動から私は距離を置くようになりますが、そこで出会った女性に強く惹かれ恋愛関係に陥ります。それが後に妻となる女性なのですが、そのなかで私は彼女のために自分が出来ることを探し、彼女に「つくす」ことに全力を傾けました、その努力は彼女に通じて私たちは「愛しあう」ことが出来るようになります。そして、私は「愛する」ことは「自己犠牲と献身」であることを確信しました。

その後、私は大学教師となり、「地域・自治体問題」の専門家として「地域づくり」に出会い、それに共鳴して参加するようになります。それは「地域づくり」は住民が参加し汗を流す活動であり、行政を批判しながら同時に連携し巻き込むことで地域を活性化する運動だからです。そして、私は静岡市内の過疎の山村に住み込み「むらおこし」を始めますが、「自己犠牲と献身」の限界も感じるようになります。

なぜなら、住民にとって「むらおこし」とは生活のためであり、「自己犠牲と献身」だけでは生活できないからです。さらに妻がくも膜下出血で倒れ、要介護の障害者となることで自分が元気で生きていかないと妻の介護も出来ないし、子どもも育てることが出来ないことを実感します。「自己犠牲と献身」だけでは妻の介護も、「むらおこし」も出来ないのです。そこで求められるのは「助け合い・支え合い」であり、「互助」の活動となります。

「自己犠牲と献身」は「生存」と「安全」が脅かされている状況では必要であり、感謝されます。しかし、それは「所属」と「承認」の欲求を充足するものにはなりません。それを痛感したのは民生委員として福祉ボランティアの活動をした時です。「助ける・助けられる」という一方通行の関係には拒否感を示されたのです。必ずお礼・謝礼がなされたのであり、それが人間として対等平等な関係に必要であることを教えられました。

「まちづくり・むらおこし」としての「地域づくり」は「助け合い・支え合い」としての「互助」の活動です。現代の日本で進行しているのは「自助」と「公助」の二極化であり、「互助」の活動は衰退・停滞しています。「自助」として個人は自己の欲望・欲求の充足に専念し、問題が発生すれば「公助」の責任にするのです。しかし、「公助」にも限界があり、今度は「公助」による支援の争奪としての政治的な争いが激化していきます。

私たち高齢者は若い頃から「個人」の自由を求め、弱者の生活支援のための「公助」を要求してきました。そして、家族から飛び出し、地域の煩わしい人間関係と距離を置く生活をしてきました。その際、「自助」とは自由に自己の欲望充足に専念することであり、それを可能にするのが「公助」でした。この点で今日における「自助」と「公助」への二極化は、これまでの私たち高齢者の生き方によってもたらされたと言えるかもしれません。

「仕事」での「互助」は命令・強制でなされます。しかし、「生活」には命令も強制はなく、「互助」も自主性に基づくものです。「生活」の基本組織である「家族」も、家族構成員の自主性に依拠しなければ成立しないのです。近代以前の家族では一心同体の関係でも、近代以降の個人の自由意思での結婚によって構築される「家族」では互いに自立した対等平等な関係が求められます。それが「助け合い・支え合い」としての「互助」となります。

ところが私も含めた男性の多くは、結婚すると伝統的な家族像に囚われて、女性に家事・育児を押し付け、「自己犠牲と献身」を求めることになります。それは性的役割分業への批判の高まりによって否定され、結婚後も女性が普通に働くようになりました。だが、それは結婚後の負担の大きさだけをクローズアップすることになります。

そして今日では、結婚も子育ても望まない若者が多くなっています。人生で最も楽しいのが結婚までの若い頃であり、その後は負担や制約だけが多くなり、やがて老いて死に至るという人生像が支配的となります。私たち高齢者は今こそ、このような人生像を打破すべきです。「個人」の自由が保障されてからこそ出来たことを思い出し、こんなに幸せな人生を送れたと感謝すべきです。そして加齢による成熟の価値を発見し、「老いる」ことは不幸なことではないことを明らかにして、それを次の世代に伝えるべきです。

▼バックナンバーはこちら
高齢者と社会貢献(3) 2024年4月23日更新
高齢者と社会貢献(2) 2024年4月16日更新
高齢者と社会貢献(1) 2024年4月9日更新

「高齢期」を私たちはどう生きるか_表紙
※書籍の詳細情報・購入については近日中にお知らせいたします

小櫻義明(静岡大学名誉教授)
こざくら・よしあき●
1945年、広島県生まれ。1974年、京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。大学での研究分野は「経済学 地域政策論」。同年、静岡大学人文学部経済学科へ赴任し、「静岡地域学」を生涯のテーマとする。以来、専門分野にこだわることなく、アカデミズムに背を向け、自治体の政策・施策・事業の研究調査を行い、静岡県や静岡市などの自治体の各種の委員も数多く歴任。
地域住民による「地域づくり(まちづくり・むらおこし)」にも強い関心を持ち、静岡県内の地域づくり団体の交流や、先進事例の視察・調査を行い、助言者・講師としても活動。さらに自らの講義内容を実践に移すべく、静岡市の過疎山村の限界集落で住民と共に「むらおこし」も始める。2007年、妻や妻の母の介護を行うため、大学を早期退職。地域の民生委員・児童委員を3期(12年)務め、地域福祉のボランティア活動や高齢者向けの活動に従事する。
定住する過疎集落では、地元野菜の販売やソバなどの軽食を提供する「磨墨庵」(現在は営業停止)の運営や、農家の自宅の縁側でお茶とお茶請けを提供する「縁側お茶カフェ」を企画。車の運転ができない高齢者を対象にした「買い物ツアー」や「出前福祉朝市」、老人クラブでの「懐メロ・映画サロン」なども実施する。妻の死後、2年間は引きこもり状態だったが、現在は回復し、自身の研究の取りまとめを行っている。
主な著書に『介護恋愛論――愛する心を持ち、愛する技術を磨く』(日本医療企画)、『「静岡地域学」事始め(ことはじめ)~静岡県・静岡市・浜松市の特性と課題~』(発売:静岡新聞社)などがある。

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