2024年5月上旬発売『「高齢期」を私たちはどう生きるか』発刊記念連載
高齢者と社会貢献(5)
静岡市内の「高齢者学級」で、当事者である高齢者に向け「高齢者論」を説く静岡大学名誉教授の小櫻義明氏が、その講義内容をまとめた書籍『「高齢期」を私たちはどう生きるか――「老い」と「死」を見据えながら、「社会」とかかわる』を日本医療企画より刊行する。この発刊を記念し、当サイトで著者からのメッセージを全7回(予定)にわたり掲載していく。
そこで「高齢者学級」に対して「子育て」支援を課題として検討することを提案したいと思います。なぜなら、それは高齢者の存在意義にかかわり、同時に健康長寿にも役立つからです。実際、「おばあさん仮説」として提起されているように、人間の「種」としての存続・進化の一因は、未熟な状態で生まれる子どもを高齢の女性が加わり共同で育てることにあり、それが人間特有の「長い高齢期」をもたらしたと言えます。
つまり高齢者の存在と「子育て」への参加と支援は関連しており、今でも高齢者にとって子どもは元気を与えてくれる存在になっています。にもかかわらず近代以降の社会では親と子どもだけの「核家族」が中心になることで、高齢者と子どもは切り離されて暮らすようになっています。実際、別居している子どもがやってくるのは年に数回程度であり、滞在するのも数日という状況下では、孫の機嫌を取り、楽しませることで精一杯です。
孫のしつけや教育に助言しようとしても、上から目線での説教だと嫌われるだけであり、効果的な「子育て」の支援は困難です。しかし、「子育て」支援として子どもと接触することは、高齢者にとって元気の源になり、生きがいにもなることです。したがって、高齢者は「社会貢献」としても「子育て」支援に取り組むべきであり、「高齢者学級」として「地域」における「子育て」支援を課題として取り上げ、支援活動への参加を促すべきです。
ただ、今日における家族の中での高齢者と子どもや孫との関係は多様であり、そこに最初から踏みこむことは避けるべきです。この点で「地域」における「子育て支援」に住民として参加することは容易です。その際、最初に今の子どもの状況と問題点について専門家から話を聞くことが大切になります。それは「地域」での「子育て」支援に役立つだけでなく、他人である子どもを知ることによって自分の孫を理解するためにも役立ちます。
重要なのが、自分が子育てをおこなっていた時代と現在の違いを認識することであり、今の時代に求められている「子育て」について学習すべきです。特に大切なのが子どもへの「寄り添い」です。それは個々の子どもの夢や希望を聞き出し、個性や能力を把握することを目的とするものであり、子どもに「信頼してもらう」「なんでも話してもらう」ことが重要となります。そして、親や教師とは違う視点から、子どもに接触すべきです。
なぜなら、高齢者は長い人生経験から学校の成績だけでは社会に通用しないことを知っており、親や教師には話せないことも話してくれるかもしれないからです。大切なことは、子どもたちの話に耳を傾け教えてもらうことであり、それによって子どもたちから信頼されるようになれます。それが実現すれば自分の孫との接触の仕方も変わり、孫からも信頼され、尊敬される存在になれるかもしれません。
戦時から戦後間もない時期は大人も子どもも「生存」と「安全」が脅かされており、「家族」は一心同体となって生き延びることが求められていました。しかし、戦後復興から高度経済成長の時期になると生活は確実に豊かになり、「生存」と「安全」の欲求は充足されてきます。すると「自分らしく生きる」という欲求が次第に強くなり、自分は何をやりたいのか、何が出来るのかを知りたくなります。
しかし、日本の学校教育は社会が求めていることを教えるのが中心であり、子どもたちの「自分らしく生きたい」という欲求を満たすことが出来ません。すると子どもの心に学校の教師やそこでの評価だけを気にする親への不信感が募り、不登校になってしまいます。重要なことは、子どもと距離を置いて子どもを観察し、子どもの個性や能力を見定めることです。それを子どもに伝え、親や教師と協力しながら対策を共に考えるべきです。
子どもたちが求めているのは、親や教師に褒められることではなく、自分が好きなこと・やりたいことで、他とは異なり優れている自分の才能を発揮して認められることであり、有名になることです。それが「所属」と「承認」の欲求であり、そのために必要なのが「自分がやりたいこと・自分に出来ること」を探すという「自己分析」です。しかし、日本の学校では「自己分析」のための教育はほとんどおこなわれていません。
それを痛感したのは、私が大学で就職委員長をしていた時、企業の採用担当者から「学力は、どの大学かで分かる。私たちが知りたいのは『何をやりたいのか』『何が出来るのか』だが、その質問に応えられない学生が多いのには困っている」と言われた時です。そこで学生に聞くと「自分たちはテストの点数、進学先の学校名で評価されてきており、自己分析はやったことがないし、それを教えられたこともない」という回答が返ってきました。
昔から言われていたことは、家族の中での母親の教育は学校の延長線でおこなわれ、教師と同じことを子どもに求めるが、祖父母の教育は自分の人生体験で大切と思ったことを子どもに伝えることが中心になっているというものです。これは現在でも変わらないはずです。ただ問題は、三世代同居が減少し、祖父母と同居する子どもが減っていることであり、それでは高齢者は「子育て」や子どもの教育にかかわれなくなります。
だから高齢者としては、近所に住んでいる子どもたちを対象に遠くから見守りながら、話を聞くという「寄り添い」から活動を始めるべきです。それをおこなえば、孫がやってきた時に話すきっかけにもなります。そのためには行政や学校等と連携して、地域における子どもの状況や問題点を把握し、その上で高齢者が支援の必要な子どもへのサポートをすることが考えられます。
これまでの学校教育では高齢者は福祉の対象者とされ、子どもたちが高齢者に優しくすることが教えられていました。しかし、高齢者の多くは元気に自立した生活をしています。これからは元気な高齢者による社会貢献として、子どもと積極的にかかわるべきです。すでに通学時における安全対策などで協力していますが、「高齢者学級」では「いじめ」や不登校などの問題解決での貢献に踏み出すべきです。
もちろん、親や教師と連携しておこないますが、親や教師とは異なる視点で子どもと「寄り添う」ことが大切となります。つまり学校の成績やテストの点数で自己を評価するのではなく、子どもに「何をやりたいのか」「何が出来るのか」を考えさせるのが重要になります。そこで高齢者の豊富な人生経験が役立つはずであり、一生続く「自己分析」のなかで子どもが直面する様々な問題にも対応できるように、高齢者としては覚悟すべきです。
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高齢者と社会貢献(4) 2024年4月30日更新
高齢者と社会貢献(3) 2024年4月23日更新
高齢者と社会貢献(2) 2024年4月16日更新
高齢者と社会貢献(1) 2024年4月9日更新
※書籍の詳細情報・購入については近日中にお知らせいたします
こざくら・よしあき●
1945年、広島県生まれ。1974年、京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。大学での研究分野は「経済学 地域政策論」。同年、静岡大学人文学部経済学科へ赴任し、「静岡地域学」を生涯のテーマとする。以来、専門分野にこだわることなく、アカデミズムに背を向け、自治体の政策・施策・事業の研究調査を行い、静岡県や静岡市などの自治体の各種の委員も数多く歴任。
地域住民による「地域づくり(まちづくり・むらおこし)」にも強い関心を持ち、静岡県内の地域づくり団体の交流や、先進事例の視察・調査を行い、助言者・講師としても活動。さらに自らの講義内容を実践に移すべく、静岡市の過疎山村の限界集落で住民と共に「むらおこし」も始める。2007年、妻や妻の母の介護を行うため、大学を早期退職。地域の民生委員・児童委員を3期(12年)務め、地域福祉のボランティア活動や高齢者向けの活動に従事する。
定住する過疎集落では、地元野菜の販売やソバなどの軽食を提供する「磨墨庵」(現在は営業停止)の運営や、農家の自宅の縁側でお茶とお茶請けを提供する「縁側お茶カフェ」を企画。車の運転ができない高齢者を対象にした「買い物ツアー」や「出前福祉朝市」、老人クラブでの「懐メロ・映画サロン」なども実施する。妻の死後、2年間は引きこもり状態だったが、現在は回復し、自身の研究の取りまとめを行っている。
主な著書に『介護恋愛論――愛する心を持ち、愛する技術を磨く』(日本医療企画)、『「静岡地域学」事始め(ことはじめ)~静岡県・静岡市・浜松市の特性と課題~』(発売:静岡新聞社)などがある。