迫られる世代交代の波 ニチイ学館MBOの狙いとは? Part2
ニチイ学館の歩みを振り返る 過去のキーマンたちがニチイの経営の内幕を語る

ニチイ学館の介護事業は、介護保険制度の施行前に、M&Aによってスタートした。その黎明期の介護事業をつくりあげた同社OBに、その歴史を回顧してもらった。

かつてのニチイ学館の介護事業の両輪

ニチイ学館の事業のスタートは、医療事務の受託事業であり、その創業時期は高度経済成長時代まっさかりの1968年までさかのぼる。創業者の寺田明彦氏が慧眼だったのは、医療事務を引き受けるだけではなく、人を育てることと抱き合わせにしたことだ。教育事業もスタートさせ、医療事務の資格取得などを促進し、自分たちの事業の人材の供給源としたのだ。そうしたビジネスモデルを創造する先見性が寺田氏にはあり、ニチイ学館の成功はそれをベースにしていた。そんなニチイ学館が介護事業を開始したのは1996年のことである。その前後から、寺田氏とニチイ学館を間直に見てきた2人の人物の話を、今回は伺うことができた。

「『ニチイ学館』という名前でわかるように、寺田さんは教育事業にこそ力を入れたかったのではないでしょうか」と語るのは、吉田英二氏だ。
吉田氏は医薬品・医療機器メーカーのニプロ株式会社に入社し、そこで医療法人との関係ができ、1985年に在宅介護サービスを行う株式会社ヘルシーライフサービスに入社。介護保険制度発足以前から、介護サービスをつくりあげてきた介護業界の草分け的な存在である。そのヘルシーライフサービスを、ニチイ学館がM&Aで合併することに伴い、1999年にニチイ学館に入社。常務取締役に就任した。在宅サービスを中心としたニチイ学館の介護事業の基礎をつくりあげたのが、吉田氏である。

在宅介護サービスの基礎ができると次の一手として、新しい介護サービスのプランを考えねばならなかった。しかし、安易に施設事業に乗り出すのはためらわれたという。

「大きな施設をつくると、どうしても投資効率が良くありませんから、当初は在宅介護サービス中心で事業を牽引していきました。そこから福祉用具の貸与や販売を行うことで、収益にも結びつけるという事業プランを描き、実行に移してきたのです」と語る。
吉田氏は、介護事業の現場を統括する仕事を行ってきたなかで、施設サービスを中心にすると、建物などへの投資額を回収するのが大変なうえ、定員で収益も頭打ちになりやすいと考えていた。そこで、在宅サービスの次に福祉用具に目をつけたのだ。

そうしてニチイ学館の介護事業が軌道に乗るなかで感じたのは、寺田氏が慧眼の経営者であり、人を動かすことにも長けていたということだ。

「競争心を駆り立てるのが上手なんですね。たとえば、支店長の表彰式を行います。売り上げの成績上位者が壇上にならびますが、トップをとった人としか握手をしない。皆、やる気のある人たちです。そうすると、誰もが、自分が次こそはトップをとり、握手をしようと必死になる。人間的な魅力があるのはもちろんのこと、そういう機微を読むのが上手な人でした」と、吉田氏は寺田氏の人柄を振り返る。

そんな吉田氏と、車の両輪となるように働いてきたのが、本田凜太郎氏である。
「働き始めは京セラの前身の会社におりましたが、社会保険労務士の資格をとって、人材紹介会社に転職し、そこで取締役も務めさせていただきました。そうしたなかで、ニチイ学館なら必ず成功できると、私の方から介護の事業化提案したのです」と、本田氏は当時を回顧する。

吉田氏に先立つ1994年にニチイ学館に入社した本田氏は、介護事業を始める前のフレームワークづくりから、運営ノウハウの取得、資金調達まで、幅広い分野を担当していた。「介護事業を始めるにあたっては、寺田さんの先見性や決断力を見せられた思いでした」という。

本田氏は事業の規模と投資額を慎重に計算して、「20億円くらいの投資ではモノにならないし、やらない方がマシでしょう。本気で取り組むのなら50億円くらい必要です。ただし、それでも最低限の話で、末永く続く事業にしたいのなら200億円くらいは必要だと思います」と、寺田氏に提案したという。寺田氏には成功する見込みがついていたのだろう。「そうしたら、あっさり200億円投資すると決められました。もちろん、資金の借り入れをしないといけないわけですから、その後の銀行との交渉は大変でしたが」と、本田氏は苦笑する。

介護保険制度の前夜からパイオニアになる

2000年に施行された介護保険制度は、厚生労働省がドイツの介護保険制度を参考にしながら制度設計を行っていたが、日本なりのアレンジも大きく、制度がスタートした時点では、成功の見込みがあるのかは不透明だった。まだ海の者とも山の者ともわからないなかで、民間の事業者が介護保険業に乗り出していくのは、賭けに等しかった。

「特に大変だと思ったのは、労務管理でした。在宅介護を中心にするのですから、それぞれのご利用者の自宅での職員の勤怠やサービスの質まで、すべて管理するのは、とても大変なことだと思いました。介護事業を始めた当初は…  (残2845文字/全文4790文字/介護ビジョン 2020年7月号)

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吉田英二さん
よしだ・えいじ●ニプロ株式会社などを経て、1985年に株式会社ヘルシーライフサービスに入社、1992年に同社取締役本部長に就任。1999年にニチイ学館が同社をM&Aしたことに伴って、ニチイ学館常務取締役に就任。以後、介護事業本部長、専務取締役、マーケティング本部長などを歴任。2006年に退職し、セントケア株式会社取締役副社長に就任。以後、スギメディカル取締役副社長、株式会社CFSコーポレーション顧問を務め、現在はウェルシア薬局株式会社顧問、イオン株式会社ヘルス&ウエルネス事業アドバイザー。

本田凜太郎さん
ほんだ・りんたろう●京都セラミック株式会社(現・京セラ株式会社)、テンプスタッフ株式会社、同社常務取締役などを経て、1994年に株式会社ニチイ学館入社。同年に同社取締役、2000年に同社取締役副社長。2004年に退職し、株式会社シグマスタッフ代表取締役、株式会社ヒューマントラスト代表取締役、ニスコムビジネスサポート株式会社(現、株式会社エボルバビジネスサポート)代表取締役を歴任し、2011年より社会保険労務士法人すばる会長。