【日本医師会長回想録発刊記念】特別インタビュー
横倉義武・日本医師会名誉会長に聞く
このほど、『未来の医療界を牽引するリーダーたちへ―日本医師会長回想録』(日本医療企画)が刊行された。著者である横倉義武・日本医師会名誉会長/社会医療法人弘恵会ヨコクラ病院理事長は本書の執筆にあたって念頭に置いたのは、「医師として生きる」とはどういうことかを伝えたかったと言う。国民皆保険制度の持続可能性さえ問われる今、医師は何をすべきか、医師会活動がなぜ必要なのを語ってもらった。
日医会長としての4期8年 基本軸はぶれなかった
―『未来の医療界を牽引するリーダーたちへ――日本医師会長回想録』を上梓されました。これまでも著書は出されていますが、日医会長の頃の政策や取り組みを振り返ったものは今回が初めてです。執筆に踏み切った経緯を教えてください。
今後、予期できないような変化の多い時代に入ることは確実ですが、未来の医療界を牽引していくリーダーたちに、私が考えてきた「医師として生きる」とはどういうことか、そしてどのような問題意識をもって日医会長の仕事に取り組んできたかを伝えておきたい、それが何かの参考になるにちがいないと思ったからです。
私は2012年から20年、4期8年を日本医師会会長として務めましたが、社会保障と税一体改革やTPP参入、地域医療構想・医師の働き方改革、医師の偏在対策といういわゆる三位一体改革、さらには新型コロナウイルス感染症対策など、医療界を大きく左右する政策課題がいろいろありました。こうした政策の立案に際して日医会長として、臨床現場で医療に携わる医療従事者の声を代弁するにあたって、どのような考え方を持っていたかをまとめました。

横倉義武日本医師会名誉会長
私たち医療従事者の仕事は、国民の健康と生命を守ることが第一です。医師会はそうした命題を達成するための専門職集団であり学術集団で、医学をどう応用していくかを問われています。私自身の会長職としての基本指針は明瞭で、「地域医療の再興」と「開かれた医師会」の2つで、どんな時でもぶれませんでした。
もちろん、すべての目的を達成できたわけではなく、自分自身で「もっとできたはずだ」という思いのあるテーマもあります。そのことも率直に書きました。
「医療基本法」の制定ができなかったのはその一つです。我が国にはさまざまな医療に関する法律があり、古い規定が見直されることなく、新しい規定が次々に設けられることが続いています。さらに行政の解釈も加わり、規定同士で矛盾が生じているのではないかと思うことさえあります。そこで、国の医療政策をしっかり施行していくための基本となる法律が必要であるということを提言してきたのです。医療は提供する側と受ける側の双方の信頼関係のうえに成り立つものであり、それについての理解をより深めるためにも医療基本法が必要であると考えていました。最終段階に入ったところで日医会長職を退任することになってしまい、まだ実現していませんが、若い医療界の皆さんにはぜひ、実現していただきたいと思います。
医師の第一の役割のためにも 「かかりつけ医」の仕組みは必要
―横倉先生が考える「日本の医療のあるべき姿」とは、どのようなものになりますか。
私は「かかりつけ医」を定着させ、いわゆるプライマリな医療をしっかり提供することが基盤にあると考えています。
私が日医会長を務めていた際にかかりつけ医機能研修制度を設けましたが、これも医師として当然すべきことを再確認しようというメッセージを込めていました。またプライマリケア学会に関しても設立当初は日医ががっちり連携して開催していました。私が平成のはじめに福岡県医師会の理事になり立ての頃は各都道府県医師会が学術大会を主管する動きもあったほどです。そのくらい、医師会としてもプライマリケアに対する問題意識が強かったのです。
2025年4月からはかかりつけ医機能報告制度が始まります。もちろん、いろいろ議論は積み残されているでしょうし、医師なかには「自分はもともと『かかりつけ医』として診療にあたってきたのに、なぜ今さら制度化が必要なのか」という疑問を持つ人もいるでしょう。実際、私が会長時代にこの議論をした時も同じ批判は出ていました。しかし、まずは「かかりつけ医」という仕組みを社会的に実装しなければ話は始まりません。スタートさせ、進めていくなかでより良い形に改めていくことが求められるでしょう。日医の現執行部は前向きに取り組んでいますし、応援したいです。
―かかりつけ医機能では、「時間外対応」が議論になりました。
1つの診療所で24時間365日対応するということはそもそも無理な話で、私たちが議論していた頃から、地域全体で、地域医療支援病院や在宅療養支援病院にも加わってもらいながら、いわゆる「面」で対応することを想定していました。これも制度を施行していくなかで形にしていけばいいのではないでしょうか。
プライマリ軽視の風潮是正には 医学教育の段階から見直しも
―そうした役割を果たす医師のあり方についてもいろいろ議論があります。
医学教育までさかのぼって見直す必要があるかもしれません。あまりにも医学教育の課程で専門志向が強くなりすぎ、プライマリケアを軽視する風潮が見られる気がします。
もちろん大学の立場も分かります。研究機関としての側面もあり、研究ではわりと狭い範囲に絞り込んで、深く掘り下げていくことが求められます。ただ、実際の医療現場では、診療領域を横断するかたちで幅広い視野に立って診なければなりません。このあたりは研究と自分の診療のあり方は切り分けて考えたほうがいいでしょう。
私が若い頃は、大学医局は現在ほど細分化されていなかったため、幅広い領域を学ぶ機会がありました。私自身でいうと心臓血管外科が専門でしたが、肝胆膵や消化管の外科も担当したものです。現在の基本領域だけで19領域ありますが、内科と外科を基本領域として設定し、その上にサブスペシャリティとして循環器や呼吸器などに派生するという仕組みも考えられるかもしれません。そのあたりは皆さんの議論を待ちたいと思います。
―医師自身の姿勢も問われそうです。
医師は目の前に患者さんがいて、具合が悪ければ、自分のことを顧みず一生懸命患者さんを助けようという気持ちが働くものです。私の若い頃のような、1週間まるまる病院に泊まり込むといった働き方が良いとは言いませんが、杓子定規に時間で区切り、そうした患者さんを助けたいという医師の気持ちをつぶすような施策はいかがなものかと思います。もちろん、超過勤務が起きる場合もあるでしょうから、勤務後はまとまった時間、休ませるといった仕組みを作ることが必要ですが、この2つの問題の解決は両立できるはずです。
実際、私は久留米大学に在籍していた頃、教授に進言して心臓手術の術後管理チームを編成したことがあります。当時は一人の患者に対して主治医がつきっきりで診る体制でしたから、なかには3~4日徹夜を強いられることもあるわけです。そこで、術後管理チームは24時間、集中治療室に詰め、その後の48時間は完全オフにしたのです。3チーム制で対応することにしました。
「直美」問題の背景には「なぜ医師になる」の問い直しも
―一方で、初期臨床研修を終えた後、すぐに美容外科の医療機関に入職する「直美」が取りざたされているように、大変な思いをするような職場、具体的には外科や救急には進まないという医師も出てきています。
先ほど医学教育の課題に触れましたが、もっとさかのぼって医学部に進む時点で、医師になるとはどういうことかを考えてもらう必要があるでしょう。医師はやはり国民の健康を守る、もっといえば人類に直接貢献することが仕事であって、そういう志を持っていただきたい。一部では高校時代の学業成績が良いから医学部へ進むという考え方もあるようですが、それ以外の視点もしっかり踏まえていただきたいし、進路指導でもそのことを伝えてほしい。極論すれば、医師はそこまでお金が儲かる仕事ではありません。医学を学び、医師になるとはどういうことかを突き詰めて考える機会を設けていただくべきでしょう。
―医学部教育でもそのことを考える機会が必要かもしれません。
医療倫理をしっかり身につける必要があるし、私も医師として成長していくなかで叩き込まれました。その意味で、かつての医局制度も評価できる部分はあったと思います。いわば医師としての職業訓練の場として機能していたことは確かです。マイナス面に焦点が当たったこともあり、04度から初期臨床研修制度が始まりましたが、そういったことを折に触れて学べる機会を設けなければいけないでしょう。
お金をもらうのに、「ありがとう」と言ってもらえる立場に立つのです。それが何を意味するのかということを自覚して、診療に当たっていただきたいのです。
私は本書のなかで、医師の役割として「診療的機能」と「社会的機能」の2つがあると書きました。後者について言うと、地域の健康づくりにおいて重要な役割を果たしています。私が地元の医師会活動に従事していた頃、内科と外科の医師は全員、交替で学校医を務めていましたが、学校医となってはじめて、地域の人々から医師として一人前と認められたものです。
「ない時代」を知る者として皆保険制度の大事さを伝える
―本書では国民皆保険制度についても言及していますが、近年は見直し論や持続可能性を問う声も出ています。
皆保険制度見直し論とあわせて、高額薬剤の問題や混合診療の導入なども議論されるようになっていますが、これについての私の考えを書きました。ただ、公的医療保険がない時代を見た者として、皆保険制度は絶対に守らなければならないということは断言できます。私は1944年生まれで、物心のついた49、50年頃は公的医療保険がほとんどない時代でした。父が田舎の農村で開業していたこともあり、盆と暮れには医療費を少しでも払ってもらわなければいけないので、集金してくれる人に頼んで患者さんの家を訪ねてもらうといったこともありました。父に言われてその集金について行ったことがあるのですが、請求書を出すと、「お金がない」と言われたり、代わりにと大根を差し出されたりといった場面も目の当たりにしています。
公的医療保険ができてからはそうしたことが減り、安心して医療にかかれるようになりました。しかも、日医会長を長く務めた武見太郎先生はじめ歴代の会長先生たちが保険の適用範囲をどんどん広げて、現在は最高水準の医療を受けられるようになりました。最近は高額薬剤の問題も出てきていますが、だからと言って所得や経済的要件で制限を設けるというのはあってはなりません。医療費の過剰な伸びを心配するなら、むしろ医薬分業をはじめ、見直すべき仕組みはたくさんあるはずです。皆保険制度は我が国で安心して暮らせるための基盤であると言え、これを守ることは本当に大事です。
医療制度の充実には政治家の理解が必要
―日本医師会はどうしても、政治との接点が多くなります。その点についてさまざまな議論があることも確かです。
日本は法治国家で、医療制度は法律で定められて施行されていきます。その法律をつくるのは立法府である国会であり、政治家です。そうであるならば、政治家に医療のあり方を正しく知っていただくことが欠かせません。
我が国の公的保険医療は本当に手厚く、さまざまな制度が整備されていますが、それは政治家が必要性を理解し、制度化したからこそ実現した側面があります。たとえば私が外科医として手術をしていた時代は身体障害者や先天性の心臓病を持った子どもの手術をするのに、患者さんにどうしても大きな負担が発生していました。中には嫁ぎ先に多大な負担をかけさせることを苦にしたお嫁さんが自殺するといった痛ましい出来事もあったのです。
日医をはじめさまざまな団体が政治家に働きかけて、たとえば身体障害者法における更生医療の支援対象に心臓疾患が入ったし、子どもの先天性心疾患手術も育成医療の対象になりました。こうしたことは全て、政治家が医療の実情を理解して法律を通してくれるからこそ、実現したのです。
そうした制度を実現するためには、政治家ともいろいろ交渉しなければなりません。そこではお互いに百点満点の成果を得るのは難しいもので、どこかで落としどころをみつけなければなりません。中には不本意なことがあっても、そこはこらえて、次の機会に解決するといった決断も必要です。本書のなかで取り上げた、医療機関が負担する控除対象外消費税の問題もその一つです。完全に解決したとは言えませんが、引き続き解決に向かって取り組まなければなりません。その窓口がいくつもあると、交渉する相手も「誰と話をすればいいのか」と混乱してしまうでしょう。そのためにも、医療側の窓口は医師会に集約する必要があるのです。そうしてお互いの信頼関係を醸成するなかで、必要な医療制度を実現していただきたいと思います。
よこくら・よしたけ●1944年、福岡市生まれ。69年、久留米大学医学部卒業。77年、医学博士取得。77~ 79年、ドイツ留学。帰国後は大学に戻り、外科医として臨床・研究・後進の育成に携わる。87 ~ 2002年、大牟田医師会監事、理事。90 ~06年、福岡県医師会理事、専務理事、副会長。06 ~ 10年、福岡県医師会長。10 ~ 12年、日本医師会副会長。12 ~ 20年、日本医師会長。17 ~ 18年、世界医師会長。21年、旭日大綬章受章。
* * *
●著者:横倉義武(日本医師会名誉会長)
●体裁:四六判/並製本、176ページ
●発行:日本医療企画
詳細・ご購入は こちらから!