病院と建築家の共同制作により地域に信頼される病院をつくる

特別鼎談 病院建築の現在と未来を語る
病院と建築家の共同制作により地域に信頼される病院をつくる

1949年の開設以来、地域の中核病院として人口約80万人の両毛地域の医療を支えてきた足利赤 十字病院。基本構想から完成まで6年をかけ、2011年7月に市街地から現在の場所に移転新築した。
新病院は、将来の医療ニーズに合わせた変化に対応できる分棟形式、病室は全室個室という、従来にない新しい時代の病院像を示した。また、新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって病院の感染症対策が問われるなか、同院は個室や動線の分離でスムーズな感染患者の受け入れを行っている。
 ここでは小松本悟院長と、設計を担当した株式会社日建設計の近藤彰宏、大守昌利両ゼネラルマ ネージャーの3人が建築から運用までを振り返りながら、病院設計・建築のあり方を考える。

建築家と共創する病院づくり鼎談に参加した株式会社日建設計の近藤彰宏、大守昌利両ゼネラルマネージャーの共著『建築家と共創する病院づくり 対話が生む成長と変化に対応できる医療施設』(A5判・並製、約300ページ、日本医療企画発行、税込定価2,860円)が2021年3月30日に発行予定です。

明確なコンセプトのもと病院のあらゆる要望を実現

――新病院の設計から竣工までのいきさつをお聞かせください。

近藤 竣工してから10年近く経ちますが、貴院とは今日に至るまでお付き合いがあり、竣工後のコミュニケーションも大事だと実感した代表的なプロジェクトです。当社はプロポーザルとして選定されましたが、その前から病院建築計画学の第一人者である東京大学名誉教授の長澤泰先生に小松本院長がお声がけし、基本計画をまとめていたのには驚きました。

小松本 全室個室で将来の成長や変化に対応できるような、地域に根差したナンバー1病院にしたいというのが、私の希望でした。病院建築について調べたところ、長澤先生と工学院大学の筧淳夫先生が国内の第一人者だと知り、お声がけしたところ、お力添えいただくことになったのです。病院幹部、職員のコンセンサスを得るために勉強会を開くといった知恵もお借りしました。

近藤 建て替えの規模やプランから入るのではなく、職員を講堂に集めて、国内外の病院建築を学ぶ勉強会から始めたんですよね。設計の段階で、通常は各診療科の陣取りが繰り広げられますが、貴院の場合は勉強会などを通じてみなさんの考えがまとまっていて、全体でひとつの目的に向かうところからスタートできました。

小松本 1949年に建てられた旧病院は、ハード的に限界を迎えていて、病院機能評価をクリアできないところまで来ていました。増改築を繰り返していて、患者さんにとっても使い心地は良くなかったと思います。移転後の業績は好調で、旧病院では100億円を超えるかどうかだった医業収益は直近では約170億円と、移転前の1・7倍に伸びています。そのままだと時代の変化に対応できず、経営的に厳しくなっていたでしょう。

近藤 設計段階で基本計画を見せていただきましたが、「全室個室」「将来の成長と変化に対応できる分棟で構成」と書かれていて、ビジョンが明確でした。すべて個室という病院は前例がなく、最初は半分を個室とするプランを提示しましたが、小松本先生からは「話が違う」とガツンと言われてしまいました(笑)。

小松本 無難なものを建てたいのではなく、後々まで残る病院をつくりたかったのです。100%責任も負うのも私であり、その点は譲れませんでした。旧病院は4人や6人部屋が主体でしたが今後、自宅では個室で過ごしてきた若い世代の患者さんは、個室を希望すると考えたのです。結果的に移転後の病床稼働率は高水準で推移し、コロナ禍でも100%を維持しています。バックヤードの空間を十分確保することで患者さんと職員、人とモノの動線を完全に分けられたことも関係していると思います。

近藤 基本計画にのっとりつつ、いくつかの提案をさせていただきました。1つは、病院エントランスからつながる延長100メートル、天井高10メートルのホスピタルモールです。中央診療棟、外来棟、病棟、管理棟をつなぐモジュールの役割を果たしていますが、自然光を取り入れたロビーのような開放的な空間にしたほうがいいと考えました。また、患者さんとの動線を分けるために外来棟の裏に職員専用の通路、〝医療の路〟をつくりました。

小松本 玄関から入ったときに来院者に与える第一印象が大切だと聞き、納得しました。ホスピタルモールは中庭に面していてテラスがあり、癒しを提供しています。カフェやコンビニエンスストアは土日も地域住民が利用できるようにしています。職員には権限に応じたアクセスパス、患者さんやご家族、地域の方たちも所定の場所にしかアクセスできないようセキュリティ対策を施したうえで、地域に開かれた病院という思いを実現していただきました。

大守 多くの病院は玄関から足を踏み入れると総合受付があり、ずらりと椅子が並んでいますが、その見慣れた風景がなかったことに驚きました。

近藤 竣工から数年経つと、病院が使い勝手を考えて新たに物を置いたり、レイアウトを変えたりするものですが、足利赤十字病院は開院当初のままです。病院が運用を真剣に考えてコンセプトをつくり上げたからです。コンセプトを膨らませて、建築的に見ために美しく、使い心地がいいものに仕上げるのが当社の役割でした。

小松本 機能性に社会性、芸術性が備わると美しいホスピタルになりますね。外壁タイルも時間帯によって色のグラデーションが変わるタイルを採用するなどこだわりました。最初はぶつかりながらも病院建築のあり方を共有してプロジェクトを進めることができました。10年経った今でも見学者が多く訪れ、「完成後に変えたほうがよかったと思ったところはありますか」とたずねられますが、一切ありません。「傷一つありませんね」とも言われます。新病院はみんなの頑張りで貯めたお金で建てたわけですから、自分の家を同じように大切に扱ってほしいと日ごろから伝えています。素晴らしい設計と運用の賜物です。


足利赤十字病院の小松本悟院長

完全個室と動線の分離でコロナ患者を安全に受け入れ

――完全個室化と分棟形式のコンセプトと、実際の運用状況を教えてください。

小松本 新型コロナウイルス感染症を予測していたわけではありませんが、感染症の歴史を考えて、病院の基本コンセプトに「感染を広げない、人にうつさない強い病院」を挙げていました。当時ナイチンゲールの著書『Note on Hospitals』を読んだのですが、「病院がそなえているべき第一の必要条件は、病人に害を与えないことである」と記されていました。快適な病院は新鮮な空気と陽光、清潔さなどを適切に整えており、パビリオン型(分棟形式)にすべきと指摘しています。感染症対策のためにも、個室や動線の分離が大事だと考えたのです。当院では新型コロナ患者を積極的に受け入れていますが、バックヤードから院内に入ると専用エレベーターで専門病棟まで行くことができます。感染者と非感染者、医療者の動線が異なることで患者さんの不安が払しょくできた結果、外来患者数は減っていません。170mあるバックヤードは、スタッフや物品のスムーズな移動も実現しています。患者さんが往来するエリアはコンタクトレスで自動ドアを開閉できます。感染対策に優れた病院建築は、ポストコロナ時代のキーワードになるに違いありません。

近藤 全室個室だと料金設定に苦労したと思いますが、どちらかというとリーズナブルな、納得できる価格帯になっていました。病床の効率的な運用を図るために導入したPFM(Patient Flow Management)が入退院の窓口にもなり、個室について説明するという運用方法により、うまくいっているとお聞きしました。

小松本 個室は無料と有料があり、部屋の広さやフロアマットの種類で料金設定していますが、1日6000円の差額ベッド代がかかる個室から先に埋まっています。また、PFMを導入し混合病棟としています。一病棟35床とし、平均7~8の診療科の患者さんが入院しており、当初は病棟運用の複雑さがインシデントにつながるのではないかとの声が上がりましたが、今に至るまで重大な事故は起きていません。患者さんの疾患が多岐にわたるため、看護師からはさまざまな手技を学べると喜ばれています。1つの病棟に外科、内科といった異なる診療科の医師が出入りすることで、診療に必要なコミュニケーションもとりやすくなっています。

近藤 小松本先生は早い段階から動線にも着目していました。設計の初期段階では、セキュリティの運用についてそこまで詰められていなかったので、一緒に運用を考えさせていただいた結果、かなりの機能を追加しました。地域に開かれた病院である一方、入退院センターでセキュリティカードをもらわないと入れないエリアを設け、スタッフと患者さんの動線も完全に切り分けるなど、ゾーニングを徹底しています。患者さんのいるエリアについては、病室のドア以外はコンタクトレスで開閉できるように非接触型のセキュリティカードをご提案し、採用いただきました。


株式会社日建設計 クライアント・リレーション&マネジメント部門
プロジェクトマネジメント部 ゼネラルマネージャー アーキテクトの近藤彰宏氏

これからの病院建築は時代の変化と成長への柔軟性

――病院建築は、建築主の病院と建築家(設計者)のパートナーシップにより進めていくのが重要です。

小松本
 建てた後に不満が残るというのは建築家に任せきりの部分があるからで、病院側にも問題があると思います。院長や幹部が自分たちの病院を建てようとする信念、責任を伴った行動が求められるのは言うまでもありません。

近藤 貴院は綿密な計画や学びを通じて、建物の仕様や運用を突き詰めたうえで建てましたから、竣工後にご相談はあってもクレームはほぼありません。

小松本
 新病院では患者さんからのクレームが激減しました。病院内のルールに従っていただけるようになり、器がきれいになると行動も変わると実感しました。全室個室なので、遠方にいるご家族が夜間にお見舞いに来ることもできます。入院をきっかけに親子やご夫婦のミュニケーションが深まったと感謝の手紙をいただくこともあります。

大守 小松本先生は理念が明確で、病院のあるべき姿を形にしたうえでプロジェクトを展開したの
が特徴的であり、他院と大きく異なる点だと思います。多くの病院プロジェクトに参加していますが、置かれている病院の状況から相対的に物事を考え過ぎるがゆえに、本来あるべき姿を形にできない病院が多く見受けられます。

小松本 綿密に計画を立てたことで、計算通りに物事が進むなら移転は99.9%成功する、稼働率は100%になると確信していました。一方で、JCI(Joint Commission International)の認証を赤十字病院として初、国内では9番目に取得するなど、患者安全と医療の質向上にも努めています。建物だけではなく、職員のレベルアップも図り続けることが大切だと思います。

近藤 災害拠点病院として災害時には被災者を収容できる講堂をつくり、中央診療棟と外来棟、病棟の高層階を一体型の免震構造にするなど、「災害に強い病院」というのも先生のこだわりでした。

小松本 講堂には災害時の診療に使うベッドを収納しているほか、貴社が開発した木質ユニット「つな木」もいち早く導入しました。有事の際は仮設医療ブースとして診療スペースに活用でき、新型コロナやインフルエンザの流行期には感染防止対策に使うことで、患者さんの安心・安全の確保につながります。

近藤 病棟は50年、外来棟や中央診療棟は20 年で建て替えるコンセプトが描かれていたので、ユニット単位で免震構造にすることも検討しましたが、地震の揺れ方によってはねじれにより亀裂が生じる恐れがあります。また、中央診療棟には放射線治療に使う医療機器を置くので、堅牢にしないといけません。そこで考えたのが、柱や梁と内装構造とを分離し、将来的に用途に応じてレイアウト変更など改修しやすい、スケルトン・インフィル工法の採用でした。

小松本
 人口減少などにより将来的には外来を縮小する可能性があります。いまの外来を別の仕様にできるよう、セクションを細分化せず、変化に対応しやすいつくりにしていただきました。災害への対応、変化と成長に対する柔軟性は、これからの病院建築を語るうえでのキーワードです。


株式会社日建設計 クライアント・リレーション&マネジメント部門
プロジェクトマネジメント部 ゼネラルマネージャー アーキテクトの大守昌利氏

木質ユニット「つな木」


木質ユニット「つな木」を使い、足利赤十字病院で組み立てた仮設医療ブース
日建設計が開発した、小径の材木で簡単に組み立て・解体・移設できるもので、角の無垢材と接合部材(クランプ)、移動用車輪で構成された基本ユニットから成る。用途や環境の変化に対応しデスク、棚、ベンチ、プランターラックなどに組み替えることができる。足利赤十字病院では地元・栃木県産木材を使ったものを導入。普段はベンチ、カフェカウンターとして活用し、緊急時には仮設医療ブースとして運用する。

まちづくりの視点が超高齢社会における建築家の役割

――医療を取り巻く環境は変化していて、病院建築にも影響を及ぼすと考えられます。今後の病院建築の方向性についてお聞かせください。

大守 新型コロナをはじめとする感染症対策として病院の個室化や院内の動線の整理、ダウンサイジングが加速すると思います。余剰病床の問題も併せて解決しないといけません。一方、病床再編や機能分化といった構造改革だけではなく、地域ごとに拠点(ハブ)となる病院をつくる必要があると実感しています。

小松本 地域医療構想を実現するには、そういった拠点があるに越したことはありません。当院のような地域医療を支える病院がハブの役割を果たすのが理想で、大学病院は最先端治療を担うなどのすみ分けができればいいと思います。病院の経営環境が厳しく、医療提供体制が変わるなかで病院がどのように地域医療を支えるのか、改修や改築、ダウンサイジングも含めて今後のあり方を考える時期が訪れているのは確かです。

大守 そのためには、我々建築家も建てて終わりではなく、完成後もフォローしながら、持続性の高い病院づくりに寄与したいと思います。

小松本 病院建築が工場などと違うのは、動線の確保や成長と変化に対応しないといけない点、さらには素晴らしい設備と、優秀なスタッフがいてはじめて機能するということです。これらの要素が揃ってこそ、レベルの高い医療が提供できます。

大守 建築を手がけたある精神科病院では、緑の見える中庭をたくさん設けて明るい雰囲気の病棟をつくりました。死角が増えるので設計時には職員の方から心配する声がありましたが、完成後の新病院では患者さんが落ち着き、職員とのトラブルは激減しました。エビデンスはありませんが、空間づくりが患者さんの回復に役立つと確信しています。

小松本 当院の精神科病棟もデザインはモダンです。移転後は患者さんの在院日数が短くなり、投薬量も減ったという報告を受けています。大守さんがおっしゃる通り、研究データはまだありませんが、そうした効果は期待できるのかもしれませんね。

大守 建物のつくりが医療提供体制や安心・安全な診療に関係するのであれば、我々建築家は病院を作る前後、早い段階と竣工後の両方を大事にしないとけません。早い段階とは、先生が病院建築を勉強なさったように、理念づくりの方向付けから私たちも知恵をお出しするような場があればと思いますし、竣工後もフォローすることで、「つな木」のような新たな設備のご提案もできます。いろんなアイデアを受け取っていただきつつ、将来的な改修・改築を検討するといった関係を続けることこそ、病院建築にかかわる建築家の役割だと思っています。

近藤 これからは改修・改築が増えていきますが、建物ができた後の50年間を見据えるべきです。建築主様にはマスタープランを立て、長い目で建物のあり方を考えていただけるとありがたいです。

小松本 足利市では当院周辺の道路を広くして区画整理に乗り出すなど、当院を中心とした新たなまちづくりに着手しています。病院だけではなくCCRC(ContinuingCare Retirement Community;高齢者が健康な段階で入居し、終身で暮らす生活共同体のこと)をはじめとする施設ができると高齢者にとっても安心です。病院と隣接する公園との間に垣根を設けなかったのも、地域に開かれた病院であることを伝えたかったからです。病院の見せ方が、地域へのアピールになると思います。

近藤 病院がぽつんと建っているのではなく、街全体から病院がどのように見えるのかも意識した、まちづくりの視点で病院建築に臨むのも超高齢社会における我々の役割です。

大守 新型コロナなどの感染症対策や地域医療構想に伴う機能分化など課題は山積していますが、先生のお話からたくさんのヒントをいただきました。とりわけ、地方の病院は今後の自院の立ち位置を悩んでいて、貴院のように地域医療を実践し、市民の心の支えになっている病院から学ぶことは多いはずです。
(『最新医療経営PHASE3』2021年3月号)

足利赤十字病院



両毛医療圏で唯一の三次救急病院であり、災害拠点病院、地域医療支援病院、地域周産期母子医療センター、認知症疾患医療センターの指定を受けるなど、基幹病院として地域医療に貢献。2011年、足利競馬場跡地に新築移転。建物は次世代グリーンホスピタルとして、全国初の省CO2推進モデル病院に選ばれたほかカーボンニュートラル大賞(12年)、医療福祉建築賞(13年)、NVTG国際医療福祉建築賞最優秀賞(16年)などを受賞。540床(急性期一般入院料1 431床、緩和ケア19床、回復期リハビリテーション50床、精神40床)。

株式会社日建設計

国内外で2万5000件を超える建築プロジェクトを手がける国内最大の建築家集団。建築の設計監理、都市デザインおよび関連調査・企画・コンサルティング業務を行う。1950年代から医療施設の設計を手がけ、年間受託額の約6%を占める。

小松本 悟(こまつもと・さとる)
1975年3月、慶應義塾大学医学部卒業。その後、同大学院にて医学博士学位取得。84年6月、米国ペンシルバニア大学脳血管研究所留学。帰国後、慶應義塾大学神経内科医長。90年1月、足利赤十字病院に着任、94年6月、足利赤十字病院副院長。2005年、医療管理政策学修士(MMA:医業のMBA)。06年、診療情報管理士。08年4月、足利赤十字病院院長。慶應義塾大学医学部客員教授、獨協医科大学臨床教授、群馬大学医学部臨床教授。17年6月、日本病院会副会長に就任。

近藤彰宏(こんどう・あきひろ)
1988年、東京理科大学大学院工学研究科建築学専攻修了、株式会社日建設計入社。主な設計監理プロジェクトとして、医療福祉建築賞を受賞した熊本県こども総合療育センター(2008年、公共建築賞)、盛岡赤十字病院緩和ケア病棟(12年、公共建築賞)、足利赤十字病院(13年、国際医療福祉建築賞第1位)、熊本県立熊本かがやきの森支援学校(17年、JIA優秀建築賞、公共建築賞)、佐久総合病院佐久医療センター(17年、公共建築賞、国際医療福祉建築賞第2位)などがある。

大守昌利(おおもり・まさとし)
1991年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻修了、株式会社日建設計入社。医療福祉施設の設計を専門に、これまで約1万1000床のプロジェクトに携わる。おもなプロジェクトとして、医療福祉建築賞を受賞した高知県立幡多けんみん病院、岡山県精神科医療センター、久留米大学医療センターのほか、りんくう総合医療センター(97年)、小倉記念病院(2010年)、兵庫県立尼崎総合医療センター(15年)、市立吹田市民病院(18年)、長崎原爆病院(20年)など。

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