MMS Woman Lab
Vol.89
「何とかなっている」は本当?
課題として認識させる働きかけを

<今月のお悩み>病院で人事を担当しています。働き方改革の推進に向けて各部門の勤務状況を確認したところ、看護部は残業が年々増加しているとわかりました。残業の主な理由は看護記録の作成です。現場も疲弊しているようですが、看護師長や現場リーダーにヒアリングしても「特に困っていない」「何とかなっているから大丈夫」という返事しかありません。そのままで良いわけがなく、どこから手をつけたらいいか悩んでいます。

「特に困っていない」という現状への慣れが変革の障壁に

皆さんは「ゆでガエルの法則」と呼ばれる話を聞いたことがあるでしょうか。アメリカの文化人類学者で精神医学者のグレゴリー・ベイトソンが用いた有名な寓話です。カエルを熱湯に入れると驚いて飛び出しますが、常温の水に入れて徐々に熱すると、カエルは温度変化に慣れていき、生命の危機と気づかないうちにゆであがって死んでしまうという話です。
これは、ゆっくりと進行する危機や環境変化に対応することの大切さを説くとともに、環境の変化に流されてしまうと取り返しがつかない状況になってしまうことを戒める例え話で、企業経営やビジネスにおいてよく用いられます。だんだん環境が悪くなっていっても、それに慣れてしまうとそれが「当たり前」になってしまい、「良い環境」がどのようなものかを忘れてしまう、という場合にも当てはまる例えではないかと思います。ご相談の看護部の現状は、まさにそのような状態ではないでしょうか。

働き方改革の目的は、働き方の多様性を確保すること、働く意欲のある人が働き続けられる環境をつくることにあります。その大きな目標を実現するための取り組みの一つが、残業のない職場環境づくりです。「残業規制」のような表現をするとネガティブな印象がありますが、環境を良くすることが残業時間の削減の目的です。
病棟看護師の残業時間が年々増こえている現状を改善するために、病棟師長、リーダーの方々にヒアリングを行ったところ、「忙しいけれど特に困っているわけではないし、必要な仕事をしているだけだから、削減する業務はありません」という意見が多かったとのことですね。この「特に困っているわけではない」という意識が困ったものです。

人の行動を変えるためには将来価値に焦点を当ててみよう

本来であれば、病棟看護師は2交代や3交代でのシフト勤務ですから、自分の勤務帯で業務を行い、終わらなかった分は次の勤務帯に引き継ぐという働き方です。つまり、残業は発生しないはずなのです。残業になるケースとしては、次の時間帯に「引き継ぐことができない」個人業務が残る場合です。
しかし、すべての看護師が個人業務を持っているということはありません。そしてご相談の病院では、残業で行っている業務は看護記録の記載が一番多いというこですから、そもそもの働き方に問題があるのではないでしょうか。看護業務がすべて終わってから「ゆっくりと記録を書く」ことが習慣化してしまった看護師が常に残業するようになり、いざ残業をしないように勤務時間内に記録を書こうと思っても、業務手順を変えられなくなってしまっているのかもしれません。
課題を課題として認識するためには、「本来は……」というところに立ち返って話を進める必要があります。しかし、「本来は……」という話をしても、「今さら変えられないから、このままで良い」と結論づけてしまうので「特に困っていない」という認識になってしまうのではないでしょうか。

働き方改革に限らず、人の行動を変えるのは至難の業です。そもそも人は安定を求める性質があり、利益を取りにいくよりも、損失を回避するほうを選ぶ傾向があることが、行動経済学でも示されています。本来の働き方に「戻す」ために業務の見直しをするのは大変だから、このままで良い、と思いがちなのです。
このような時は「今」の損得だけで話を進めるのではなく、将来価値にも焦点を当ててみましょう。将来、看護師の働き方がもっと多様化して、3交代や5交代といった細かい勤務帯になったり、人によって働く時間帯に違いが出た時、全員が与えられた勤務帯で仕事が完結できていれば、パズルのようにシフトを組んでいくことができるはずです。「そのためにも今のうちから勤務帯で業務が完結する体制を整えましょう」という切り口で話をすると、今の自分のためではなく、将来の自分や自分後輩たちのために環境を整えるという意識が生まれ、変化への一歩を踏み出せるかもしれません。

〈石井先生の回答〉

忙しい毎日を過ごしていると、どうしても目の前のことだけをみてしまいがちです。人が持つ「変わりたくない」という性質も理解したうえで、少し先に目線を向けて「将来のために」という意識を持てるように働きかけていく工夫が、変化を促していくためには必要ですね。(『月刊医療経営士』2021年12月号)

石井富美(多摩大学医療・介護ソリューション研究所副所長)
いしい・ふみ●医療情報技師、医療メディエーター。民間企業でソフトウエア開発のSEとして勤務した後、社会福祉法人に入職。情報システム室などを経て経営企画室長に 就任後は新規事業の企画、人材育成などに携わった。現在は医療経営人材育成活動、企業向け医療ビジネスセミナーなどを行うとともに、関西学院大学院、多摩大学院にて「地域医療経営」の講座を担当している。著書に『2018年度同時改定からはじまる医療・介護制度改革へ向けた病院経営戦略』『経営企画部門のマネジメント』(ともに日本医療企画)ほか

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