お世話するココロ
第186回
年末年始は働きました

暦どおり休める仕事なら9連休となった、先の年末年始。皆さんはいかがおすごしでしたか。精神科慢性期病棟でのお正月は、こんな感じでした……。

実は人気の年末年始勤務

年末年始は大晦日から1月2日まで働きました。
1987年に就職して以来、暦どおりに休んだ年は数えるほどです。夫も私も実家は東京。里帰りもお手軽で、連休を希望しないと勤務が入るのでした。
特に若い頃はシフト勤務についていたため、日勤もあれば夜勤も。病棟で年を越した年もありました。

平日日動が基本だった看護師長時代(2001~09年)も輪番で管理夜勤があり、年末年始1回くらいは担当したものです。
夫は会社員で休みは暦どおりなので、ひとりの年末年始は慣れっこです。今年も昼食にひとりでおせちを食べ、正月を満喫。看護師の夫の鑑です。

年末年始の勤務は「子どもが小さい」「老親に会いに行く」などの事情から避けたがいる一方、積極的に勤務する人も少なくありません。そして私もそのひとり。理由は主に2つあります。
1つ目は、急な変化がなければ休日体制で仕事が少ないから。休日は通常の外来診察や入院、手術などは行われず、必ずやらなければいけない仕事が少ないのです。
2つ目はずばり、特別手当。病院によってまちまちでしょうが、私の勤務する病院では、私が出た3日間は1日3000円程度の手当てが出るそう。時給2000円のパートにとって、3日間で1万円超の手当ては貴重です。
ちなみに、16時半から9時半の夜勤では、日をまたいでの16時間勤務(拘束は1時間)となるため手当ては2日分。私は夜勤をしていませんが、こうした仕組みを聞くと、きちんとした病院で働いているという実感がもてます。

以上2つの理由から、年末年始の勤務は、通常より穏やかな勤務を「高い報酬でする」というありがたい勤務なのですよね。
来年以降も、年末年始勤務はウェルカム。希望が多ければ若い方に譲りますが、まわってきたらありがたく働かせていただきます。

ところが実際の勤務は……

しかし、この年末年始はかなり過酷だったと言わざるを得ません。病状の急変こそなかったものの「オムツを替える」「トイレに誘導する」といったケア度の高い患者さんが6人。うち3人は全面的な食事介助が必要で、3日間ずっと、座る間もない忙しさだったのです。
病棟は60床で、年末年始の日勤は基本6人(うちひとりは看護助手)。平日と比べるとほぼ半減で、手薄なのは間違いありません。

以前勤務していた身体科急性期病院は、年末年始の勤務者は少なかったものの外泊する患者もいて、患者数はぐっと減少。それでなんとかなっていました。
ですが、ここでは行き先のないほぼ全員が病棟に残り、ケア度の高い人も多くアップアップの状態に。
特に配膳、食事介助のある昼時は、超多忙。全員で配膳や食事前のケアにあたります。食事介助を要する患者さんはなるべく車いすに乗せてホールへ。動きが悪いうえに身体が大きく、2人がかりでないと動かせない患者さんもいます。
その人をようやくホールに出したと思ったら、歩行介助をしながらホールに来た患者さんが、待てずに部屋に戻っていたり。
「○○さん、ご飯これからですよ。戻ってください!」と声をかけても○○さんは戻らず、またベッドにお出迎え。最初に戻って、また起こして手を引いてホールに戻したのでした。
ようやく食事介助をする患者さん3人がホールにそろい、看護師2人で3人に食べさせます。合間に、声をかけないと食べるのをやめる人もいますし、むせやすい人もいる。本当に目が離せません。
食事が終わると下勝、歯磨きの介助。その合間に食後の薬を配りと、まさに駆け回る忙しさでした。

そんな状況でも私たちの心を和ませるのは、栄養科が工夫した彩り豊かなおせち料理。元旦、2日は昼に筑前煮、黒豆、きんとんなどの正月らしいメニューが並び、患者さんたちも大喜びでした。
入院患者さんのなかには30年以上入院している人もいます。そのなかのある女性は、「ここはいい病院だぞ。おせちを出してくれるんだから。なあ、いいだろう。俺が院長に命令したんだ」と、荒っぽい言葉で他の患者さんに話しかけていました。
この女性には「自分の全額寄付でこの病院が建っていて、自分は一生ここに暮らせるのだ」という妄想があります。できれば施設への退院を促したいのですが、この妄想が治まらない限り、退院を受け入れることはないでしょう。

年末年始勤務の思い出

いつも以上に忙しく働き、過去の年末年始勤務の思い出が蘇りました。内科病棟で働いていた20代の頃、大晦日から元日の夜勤で、急変した患者さんの蘇生をしながら年を越したことがあります。
患者さんは80代後半の男性で、積極的な治療は行わない人でした。しかし、親族が帰宅していたため、その到着を待つ間だけ心臓マッサージと一時的な人工呼吸を行ったのです。
心臓マッサージは当直医が行い、私は機械を使っての人工呼吸を担当しました。
目的は救命ではなく、死亡宣告の引き延ばしにすぎません。加齢でもろくなった肋骨を折らぬよう、心臓マッサージは弱く、緩く。儀式的なやり方で非常に静かな蘇生処置でした。
今ならこうした儀式的な蘇生は行わず、家族の到着を待って死亡宣告をするのでしょう。少なくとも、私が勤務していた病院はその後、そのようになっていきました。

蘇生が始まって30分以上が経ちました。当直の若い男性医師が小さな声で、「ご家族、遠いんだっけ」と尋ねてきます。
私は「さっき息子さんに電話した時は、30分から1時間とおっしゃっていました。息子さんと娘さんそれぞれのご家族が来るそうですが、どちらもそのくらいでつけるようです」と答え、数人の親族が間もなく駆けつけました。
息子さんも娘さんもおそらく50代。親思いでやさしく、礼儀正しい人たちでした。その息子さんと娘さんが同時に発したのが、「先生、看護婦さん、明けましておめでとうございます」というご挨拶……。
当直医も私も、蘇生処置の手を止め、思わず「おめでとうございます」と応じていたのです。
そのあとはいつものように、「皆さまおそろいですか」と私が確認し、全員そろったとわかったところで、当直医が最後の診察をし、死亡宣告をしました。

「199×年、元旦。1時05分、死亡を確認いたしました」

すべての対応が終わった後、当直医と私はやっぱり笑ってしまいました。

「宮子さん、あのお子さんたち言っちゃったね。『明けましておめでとうございます』。俺、本当にどうしていいかわからなかった」

「私も、どうしようかって思いましたけど、向こうが言ってくださったのに言わないわけにもいかないと思って。私も言いました。本当に礼儀正しい方たちだから。やっばり元旦だから。いいですよ。あれで」

実はこの時、当直医が死亡宣告で「元旦」と言ったのも、かなりおかしかったのですが……。私は、武士の情けで黙っていました。

人の死は厳かな一方で、非日常的である分、思いがけない展開があります。必死になるほどにおかしなことをしがちなのは、人間の本質なのではないでしょうか。
年末年始の勤務は、そんな人間について考える、またとない機会でもあったのです。(『ヘルスケア・レストラン』2026年3月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある

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