お世話するココロ
第178回
オーバーツーリズムと暮らし
旅行者が多すぎて、そこに暮らす市民の生活が脅かされる「オーバーツーリズム」――。実際に困っている人の話を聞くと、本当に対策が必要だと思います。
京都のすさまじい事情
夫の両親は京都生まれ。大学卒業まで京都で暮らしていました。その後は仕事の関係で何カ所かの引っ越しを経て、40代以降は都内に定住しています。
去年、夫の父親が学校時代の同窓会に行く前に、こんな話をしていました。
「いや、もう京都は観光客ですさまじい状態らしい。観光客があふれて、一番便利な市バスに乗るのは無理だと言われた。会場へは遠回りしてでも地下鉄で行くか、京都駅から歩くしかないようだ。タクシーもなかなか来ないらしい」
90歳近い夫の父はいたって健脚なので、その時点で歩くと決めているよう。それが可能な体力があるのは喜ばしいのですが、地元の人の苦労はいかばかりかと思います。
同窓会は無事終わり、夫の父から、地元に暮らす人の嘆きをいくつも聞きました。
たとえば――。「清水寺から一番近いバス停には大きなスーツケースを持った外国人観光客が並び、バスを待つ列が100メートルくらいになる。以前は普通に使えたバスが、ほとんど使えなくなってしまった」「大きなスーツケースを持ち込むので、バスの乗り降りにものすごく時間がかかる。そのためバスの遅れは慢性的で、やっと来たと思ったら満員で乗れない。もうバスは使えないものと思っている」「観光客が多い時はタクシーも出払っていてなかなか来ない。自家用車を使おうにも道も混んでいる。地下鉄がまだ一番マシなので、少し遠くても使うが、それが無理な地域はお手あげだろう」
報道を通じて、オーバーツーリズムの問題はそこそこ関心をもって見てきました。しかし、実際に聞く話は思った以上に深刻で、改めて、地元の人の苦労についていろいろと考えてしまいました。
私も都内で外国人観光客をよく見かけますが、大きなスーツケースを持っての移動は、本人も大変そうなら、よける周囲もなかなか大変。国内の観光客より影響が大きいのは、想像がつくところです。
外国人への怒りが煽られないように
京都は日本有数の観光地。観光収入が大きく、市民もそれは理解していると感じます。だから、夫の父を通じて聞く話も、外国人観光客をあからさまに責める論調ではありません。
ニュアンスとしては、「外国からの観光客には来てもらわなくちゃ困るんだけど、今のままではかなわんなあ」という感じ。これには、少し安心しました。
私がこのように思うのは、特にSNSで外国人旅行客に対する差別的な悪態をしばしば目にするからです。特に中国人に対しては、あからさまな侮蔑が多いように感じます。
こうした現象を前にして私が思い出すのは、いわゆる1980年代のバブル期の日本人。ヨーロッバなどでブランド品を買いあさる日本人に対して、地元では冷たい扱いを受けたとの話を聞いたことがあります。
「ブランドショップの店員が目も合わせない。本当に失礼な態度だった」と怒る知人は、「やっぱりヨーロッパ人はアジア人を下に見ているのよ」と言い、私も「それもそうかな」と思ったものです。
ただ、これについては、旅行通の友人から「日本の店は愛想が良すぎ。特にヨーロッパなんて、店員が無愛想なのは当たり前なのよ」と後から言われ、はっとさせられました。
しかし、それはそれとして、「以前は自分の国より貧しいと思っていた国の人たちが自分たちより豊かになると腹が立つ」というのは、気持ちとしてはあり得る話ではないでしょうか。
今の日本に置き換えれば、日本のほうが豊かだと思っていたのに中国に抜かれ(まあ、この感覚自体も古いのですが)、そこの観光客が落とすお金にすがるようになってしまった――。この、何とも言えない凋落感が、中国人を叩く人の心中にはあるように思えます。
ただ、このような外国人たたきは、やはり差別に通ずる人間の暗部。それを善しとするのは間違っています。
世界情勢は時に大きく変わります。ある国がある国より上だとか上だとか下だとか、そうした意識があるからこそ、逆転が起きた時に苦しくなる。差別する心は時代のなかでその人自身を苦しめ、無用な攻撃に駆り立ててしまいます。
今、オーバーツーリズムの問題に乗じて中国人たたきをしている人を見ると「私たちもヨーロッパではこんなふうに見られていたのかなあ」と思わずにいられません。
幸いだったのは、SNSがまだなかったこと。多くの人は、腹のななかでムカムカし、時に行動や表情に出しながらも一線を越える発言をせずにすんでいたのですよね。
「思うこと」と「思ったこと」を言葉にすることの間には、大きな違いがあります。思っても言葉にしないほうがいいことは、たくさんある。この事実を、私たちはもう一度思い出す必要があります。
暮らしの困り事として解決
京都の話でもう1つ思い出したのは、以前聞いた、箱根を越えて小田原の病院まで自動車通勤していた知人の話でした。
その人は女性看護師で、以前は病院の近くに暮らしていたのですが、諸事情から高齢の親と同居しなければならず、車での通勤を前提に現在の住まいに引っ越したそうです。
順調なら片道1時間弱の通勤は、決して楽な距離ではありません。それでも、もとから運転は好きという彼女は、運転自体は苦ではないと話していました。
しかし、いざ暮らし始めて困ったのは、道路の渋滞。観光客が押し寄せる休日の箱根は、道路が混み合ったら最後、到着時間が読めません。
そこで、土日・祝日には混む時間に通勤が重ならないように勤務を組んでもらったとのこと。具体的には、土日・祝日の勤務は日勤。これなら、早朝に出て夜帰宅するため渋滞にかかりにくかったそうです。
逆に、絶対に避けてもらったのは土日・祝日の夜勤入り。病院は2交代のため、夜勤入りは日中の移動になります。これでは渋滞のなかを移動する羽目になり、働く本人も職場舗も、気を揉むことになりかねません。
このように、観光地に暮らす人にとって観光客の存在は、時にありがた迷惑なもの。観光客を呼び込みつつ、地域の人の生活を守ることは自治体の大事な役割だと思います。
看護師という仕事柄、外出しづらい状況が及ぼす、高齢者や障がいのある人への影響がとても心配になります。
歩行が難しければ短い距離でもバスやタクシーを使わなければなりません。使えないとなれば、外出そのものを控える人も出てくるでしょう。
多くの自治体では、高齢者を対象としたバスの割引パスが発行されています。これだけでも高齢者は外出しやすくなるのですが、オーバーツーリズムによってバスに乗れない地域では、どうでしょう。
たとえ手元にバスがあっても使わなければ“絵に描いた餅”。外出促進の意味がなくなります。
外出頻度が下がると引きこもる人が増えるのは、私たちはコロナ禍で学習ずみ。引きこもりによって身体機能が衰え認知症が悪化する人が、どれだけ増えたことでしょう。
オーバーツーリズムの問題は、そこに暮らす人にとってはまさに日々の暮らしの問題。外国人を悪く言ってすむ話ではありません。
観光客と住民の共存をどう図ればいいのか。改めて、考えなければいけないと思いました。その際、医療専門職としての知見も機会があれば伝えていきたいものです。(『ヘルスケア・レストラン』2025年7月号)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある

