お世話するココロ
第176回
看護職とユニフォーム
皆さんの職場にユニフォームはありますか?“医療職といえば白衣”と言われた時代から、今は色とりどりのスクラブへ。私がこれまで着用したユニフォームを振り返ります。
最後のユニフォーム?
私が今着ているユニフォームは、紺色のスクラブと白のパンツスタイル。スクラブはVネックの襟元とポケットの差し色に、青、ピンク、スカイブルーのバリエーションがあります。
ポケットの造りといい、着心地といい、さすが医療用ユニフォームでは国内最大シェアの、ナガイレーベン製。とても気に入っています。
このユニフォームは病院の貸与で、更新は4年ごと。今年度はその切り替えにあたり、4月からはデザインも一新された、新しいユニフォームに変わります。
ユニフォームの変更にあたっては、選べる種類が増え、試着できる期間が確保されました。貸与される枚数は勤務日によって変わります。
常勤の人は週5日働くので、上下5セット。私は週3日勤務の非常勤なので、上下3セットと少なめです。
大きく分けてスクラブは4種類で、それぞれに色違いがあります。見れば見るほど悩んでしまい、何回か試着部屋に足を運びました。
ここまで私が悩んだのも、おそらく、これが“最後のユニフォーム”になるからです。職場の定年は64歳。希望すれば65歳までは働けるようなので、実際の退職は2028年6月になりそうです。
かくして、4年後のユニフォーム更新までには退職している可能性が高いため、今回が最後のユニフォームになるというわけです。
悩みに悩んだ末、私が選んだのは、大好きなくすんだブルーのスクラブに紺のパンツの組み合わせ。3セットすべてをこれにして、迷いを断ち切りました。
新しいユニフォームを心待ちにしながら、今までのユニフォームとの別れを惜しんでいます。
憧れた白衣は……
ここでは「ユニフォーム」と書いてきましたが、普段家では「白衣」と言っています。白くなくなってもついつい白衣と呼んでしまうのは、長い間実際に白衣を着て、それが習い性になっていたからです。
1987年に私が初めて就職した病院は、本当に真っ白な白衣。これも貸与でしたが、ワンピース型一択でした。
当時はナースキャップもあり、靴とストッキングも白。それこそ上から下まで真っ白な姿で働いていたのです。
長く働ける資格職としてこの仕事を選んだ私には、いわゆる白衣への憧れは希薄でした。それでも、3年間看護学校で学ぶうち、「早くあの白い白衣を着られるようになりたい」と思うようになっていました。
看護学生時代、実習に出る時のユニフォームは青いワンピースの上に白いジャンバースカートの組み合わせ。当時は、多くの学校がこのスタイルでした。
私たちはこれを実習服と呼び、「ああ、早く白衣を着て働けるようになりたい」と願いつつ、せっせと実習に励んだものです。
卒業後、実習生として学んだ病院に就職した私は、夢にまで見た白衣を着るようになりました。「ああやっとここまできた」。そんな感慨に浸った日が忘れられません。
しかし、憧れた白衣は、仕事には適さない点が多々ありました。なにしろ、布は綿100%で伸縮性はゼロ。大きく腕を動かした途端に脇の下の縫い目が裂けた……。そんな光景は珍しくなく、驚くのは患者さんだけでした。
この着にくさに気づいたのは、白衣が大幅にリニューアルされてからです。このリニューアルは確か98年頃で、ナースキャップの廃止とセットでした。
その時以降、素材が伸縮性のある化学繊維に変わり、ワンピースとパンツが選べるようになります。
一度伸縮性のある素材を着ると、その快適性にびっくり。多少蒸れるような感じはあったものの、伸びない綿の白衣には「もう2度と戻れない」と思いました。
服装規定もさまざま
最初に勤務した病院と今の病院を比べると、同じようなユニフォームの貸与でも、服装規定の厳しさには大きな遅いがあります。
前述のように、最初の勤務先のユニフォームは白。これは、デザインが変わっても変更ありませんでした。そして、靴や靴下は白というルールも継続し、寒くてもアンダーシャツの着用はNG。服装規定はかなり厳しかったと言えます。
一方、今働いている病院はこれとは真逆で、およそ統一性がありません。
貸与されるユニフォームは白のほかさまざまな色があり、靴下は実質、自由。靴は白ベースなら柄が入っていてもよく、寒い時はアンダーシャツが見えてもOKです。
今の病院に移ってきた時は、前の職場との落差が大きく、あまりの自由さに驚いたものです。しかし、慣れてしまえば、なぜあんなに厳しく縛られていたのか、不思議な気持ちになりました。
そして、厳しい服装規定は医師には適用されず、私服の上に白衣で働いてもOK。看護師にばかり頭からつま先まで真っ白く装えというのは、かなりおかしなルールだったと思うのです。
ただし、医療界全体の流れとしては、白衣からスクラブへとカラフルなユニフォームにシフトしています。こうした変化を受けて、厳しい規定を設ける病院も変わっていくのではないでしょうか。
白衣からユニフォームへ
今働いている病院は精神科専門ということで、ユニフォームにも独自の工夫があります。
精神科では施錠している場所が多く、鍵を身に付けるのが必須。そこで、キーチェーンを付けやすいようにしっかりとしたループがスクラブの脇に付いています。
小さな工夫ですが、勤務時間中はどこに行くにも鍵開け・鍵かけなので、鍵を操作しやすいのは本当に助かります。
また、不幸にして患者さんともみ合うような事態を考えると、胸ポケットにはペンなどとがったものは入れたくありません。
これはまさに、デザインの選び方次第。胸ポケットは小さくてよく、その分、お腹あたりのポケットが大きいものが望ましいのです。
昨年6月、NHKの「探検ファクトリー」という番組でナガイレーベンの工場が取り上げられていました。
それによると、ユニフォーム制作にあたっては、その職場ごとの細かいリクエストにも応じているそうなのですね。
また、動きやすさを追求するさまざまな工夫も紹介され、ちょっとした感動を覚えました。
このように、看護職にとってユニフォームとは究極の仕事着であり、何より、使い勝手の良さが求められます。
40年近く病院で働き、ユニフォームも大きく変わってきました。素材やデザインもよくなり、本当に動きやすくなっています。
そして、それを可能にしたのは、やはり人々の意識の変化。そう言って間違いないでしょう。
振り返れば、「白衣の天使」という言葉に象徴されるように、看護職といえばナースキャップをした純白の女性。そんなイメージがあったのではないでしょうか。
だから、いくら無用の長物でもキャップをなくすことへの抵抗感があったし、ましてや、パンツ姿を受け入れられない患者さんや医師(!)も意外にいたんですよ。
象徴としての白衣から仕事着としてのユニフォームへ。この変化には、単に服装にとどまらない、意識の変化があった事実を強調したいと思います。(『ヘルスケア・レストラン』2025年5月号)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある