お世話するココロ
第175回
面会をめぐるあれこれ
新型コロナ感染のパンデミック中、なかなかできなかった面会。多くの施設や病院で制限が緩められ、再開となりました。その効果と問題を改めて考えます。
突撃面会はやめてほしい
休日のある日。私が日勤で働いていると、患者さんの兄を名乗る男性が、ドアの向こうにやってきました。病棟は閉鎖病棟なので、訪問者は必ず看護師がドアを開けて対応します。
男性は慌てた調子で、こう言いました。「○○の兄です。昨日急きょ入院になったと聞きました。会わせていただけますか?」
ところが、○○という患者さんは、この病棟には入院していません。前日の入院はなく、病棟間違いの可能性が高いと思いました。
そのように告げると、どの病棟か調べてほしいとのこと。電子カルテを検索すれば該当者がいるかいないか、いればどこに入院しているかはわかります。
しかし、本当にその人に入院している事実を告げていいかどうか。そこはすぐにはわかりません。
「確認に、少々お時間いただきます。申し訳ありません」と言うと、男性は立腹。「なぜすぐに教えないんだ。兄なんだぞ。もういい」と大声で言い、エレベーターに乗って降りて行きました。
おそらく思いあたる病棟があったのでしょう。あとから名前で検索すると、別の病棟に名前を発見。兄が面会に来たという記録もあり、会えてよかったと安堵しました。思えば、こうした面会を巡るちょっとした困り事も、懐かしい気がします。
新型コロナウイルスのバンデミックの間は、面会すら許されなかったのですから。
死に目に会えなかったつらい思い出を、ずっと引きずる遺族も多いと聞きます。それを思えば、面会に来る家族がいて、患者さんと会えること。素晴らしいというほかありません。
とはいえ、面会に際しては、可能なかぎり入院した病棟は、聞いておいてほしいもの。「どこに人院したか」を教えてもらっている、というのは受け入れる病院としても、安心材料になります。
ある人が入院しているかどうかをいろいろな病院に問い合わせする。そんな悪質な人も、この世にはいるのですよね。こうしたリスクを考えればこそ、個人情報については、ガードが固くなるのです。ここはお叱りを受けても、確認は万全に。突撃面会はやめてほしい。この基本はこれからも変わりません。
面会はお互い無理せずに
面会をめぐっては、患者さんにもいろいろな気持ちがあるように見えます。言うまでもなく、患者さんは心身になんらかの問題があって入院しています。体調によっては人と会うのが苦痛な時もあるでしょう。
看護師として面会について思うのは、「義理でなら来なくていいのではないか」ということ。特に調子が悪い時や、容態のわからない時、気を使う人を迎えるのは、とても負担です。
それこそ面会制限のある時期は、来てほしい人とも会えないつらさがあった半面、避けたい面会はしなくてすんだんですよね。
これからは、面会が可能な状況で、行くか行かないかを各自が決めなければなりません。
面会対応の難しさは、親を看取るとき、しみじみ実感しました。
特に母が80歳で亡くなった時、面会に来る友人や親戚も、皆それなりの年配者。なかには母の容態が悪いとあからさまに落胆する人もいて、申し訳なく思ったものです。
これは自分も歳を重ねて少しずつわかるのですが、若い頃には他人事だった加齢による衰えや死が、確実に近づいてくる。そんな感覚が、年々強まってきています。
母は慢性呼吸不全で70代の半ばからは携帯酸素が手放せませんでした。それでも酸素を持ちながら外出もし、「病気に負けない」生活をしていたと思います。
それだけに、元気な頃の母を知る人は、母の衰弱がつらかったのでしょう。面会後の落胆に対しては、そのフォローもなかなか大変でした。
「元気なその人を見たい」という気持ちでの面会は、病状が悪くなると、なかなか難しいもの。見るのがつらければ、そっと遠くで回復を願ってほしい。身内としては、そんな気持ちにもなったものです。
面会は、患者さんを力づけるため。その基本に立ち返り、適否を判断してほしいと思います。面会に来る人も、迎える人も、お互い無理は禁物です。
精神科特有の事情
また、精神科病院では、ご家族とさまざまな葛藤を抱えた患者さんも多く、それゆえ入院が長期化している場合もあります。
たとえば患者さんのなかには、親が面会に来ると、症状が一時的に悪化する人がいます。
面会自体は拒否せず、あとから精神状態が悪くなるので、面会後は注意して対応しなければなりません。
親もその動揺を察すればこそ、事前に病棟に電話し、本人の意思を確認してから面会に来ます。以下、連絡を受けた私と患者さんの会話。
「ご両親が今から面会に来たいとご希望ですが、来ていただいてかまいませんか?」
「はい。いいです」
「いいです、というのは、来てもらってかまわないのですね?」
「だから、いいです」
「来てもらいますよ」
「はい、いいです」
こうしたやり取りをするたび、日本語は難しいと思います。この時は、笑顔で両親を迎えたところを見ると、面会を許容できてきたのは間違いなさそうです。
しかし、面会を終えて一人になると、廊下を高笑いして歩き、声をかけた看護師にも反応しなくなってしまいました。
そして、このように精神状態が悪くなると、次に来るのは過飲水。洗面所の流しの水を手酌で飲み続け、電解質異常に陥ることもあります。
何度も繰り返している症状なので、私たちも対応にはだいぶ慣れてきました。鎮静する方向で処置を行い、とりあえず心身を休めてもらう。これによって、状態は迅速に改善します。
大抵は病状の悪化に終わる面会ですが、では完全に禁じればいいかといえば、決してそうではありません。
現状では親との同居に戻るのは極めて困難。今後の住まいとしては、グループホームなど、親との距離を置く方向です。
だからこそ、完全に両親との関係が切れないようにしたい。入院している間に少しでも親との接近を試しておく。これが今の方針なのです。
このように、近しい人の面会が1つのチャレンジになる。そんな場面は少なくありません。お互い気持ちが残っていれば、少しでも親族との関係が維持できるよう、関わりたいと思います。
以上、ここまでは感染対策による面会制限が終わったかのように書いてきました。しかし実際はどうかといえば、病院などの医療機関は、まだまだ慎重です。
私が勤務する病院は、直接患者さんと会えるのは親族とそれに準ずる人のみ。それ以外は窓越しにインターフォンを使っての面会になります。
直接の面会でも、時間は原則30分。加えて、マスクの着用は必須。新型コロナウイルスが5類になっても、感染はまだ続いています。
もともとインフルエンザが流行っても、いろいろな対策は行ってきましたので。まだしばらくは、今程度の面会制限が続くと思われます。(『ヘルスケア・レストラン』2025年4月号)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある