お世話するココロ
第173回
こぼしたジュースは誰が拭く?
慢性期閉鎖病棟には、年単位で入院している患者さんがいます。病状は落ち着いていて、生活の場としての色彩が濃厚。社会性を維持する働きかけの大切さを再認識しています。
野菜ジュースを掃除する
「ねぇねぇ、看護師さん。野菜ジュースこぼしちゃった。どうすればいいの」
ある日、男性患者さんに呼ばれて病室に行くと、ベッドサイドの床にマグカップが転がっています。中身の野菜ジュースが床にまき散らされ、床に置きっぱなしだった服はびしょびしょに。
「ねえねえ、看護師さん。野菜ジュースこぼしちゃった。どうすればいいの」
ニヤニヤしながら、同じ言葉を繰り返す男性患者さんに、自分でなんとかしようという気持ちは感じられません。
この時、私の頭に浮かんだ対応は、以下の3つです。
①看護助手に頼んで掃除をしてもらう
②私自身が掃除をする
③掃除用具を渡して、男性自身に掃除をしてもらう
普段であれば、一番よく取る方法は①です。ところがこの日は看護助手が欠勤していて、明らかなマンパワー不足。看護師のほうが数としては多かったため、頼むのは忍びない状況でした。
そのため、選べる選択肢は②か③か。こうなると、看護師がやるというのが常道だったのですが、私は②と③の間をいくことにしました。
「○○さん、今掃除道具を持ってきますから、一緒にお掃除しましょう。濡れた衣類は洗濯に出すので、この袋の中に入れてください。その間に、私は掃除道具を持ってきます」
私は、洗濯業者に出すための汚れ物袋を男性患者さんに渡し、モッブなどを集めて部屋に戻りました。床の汚れが気になる男性は、汚れた物を指示どおりに整理できておらず、ニヤニヤするばかり。
「まず汚れた衣類をどかさないと床が拭けませんよね。一緒にやりましょう。私が袋を広げていますから、濡れた物をどんどん入れてください」
「いっぱいになっちゃいますよ」
「もしこの袋がいっぱいになったら、別の袋を持ってきます。野菜ジュースでベタベタなまま置いておいたら臭くなります。だってこの服、もともと洗い物ですよね?」
「そう。洗い物」
「床に置いたままにしないで洗濯に出していれば、こんなことにはならないんですよ」
「すみません」
「今度から気をつけましょう。じゃあ、きちんとモップを持って拭いてください。私がいすやベッドを動かしますから」
男性はニヤニヤしながら、ゆるゆると掃除をしています。恐らく時間だけで見れば、私一人でやるほうが半分以下の時間で済んだでしょう。
しかし、そうした効果があってか、男性はカップの置き場所を多少なりとも考えるようになりました。それだけでも、大きな変化だと思います。
床のコーラを掃除する
その後、別の男性患者さんが食堂の床にコーラをこぼしました。この時は量が少なく、通りがかりに私が紙で拭いて終了。ところが、その翌日もまた同じようにコーラをこぼし、なんとも言えない徒労感を抱いたのです。
コーラがこぼれるのは、床に置いたカップを本人が蹴って転がすから。床に置くのは止めるよう何度も注意されているのですが、まったく懲りません。
結局、同じことを繰り返しては職員が尻拭いをしていました。だから本人は手を汚すこともなく、懲りるはずもなかったのです。
私はこの経験から、今度誰かがコーラを床にこぼしたら、基本、自分で掃除してもらおう。そう考えていました。
野菜ジュースをこぼした男性患者さんは、能力的にはギリギリ掃除ができるレベル。自分から進んでやりはしませんが、指示しながらであれば、なんとか床が拭けたのです。
その後、食堂でカップを蹴り転がす男性患者さんも、また同じ失敗を繰り返しました。
「こぼれちゃいました」と、このこの人もニヤニヤ。
その日は私が知る限り5~6回目の蹴り転がしで、さすがに笑って済ませられない気持ちになっていました。
「××さん、〈こぼれた〉じゃないですよね。蹴って〈こぼした〉ですよね。カップからは勝手にコーラはこぼれません」
「すいません、足がカップに引っかかっちゃって」
「××さん、このあいだ、私が床のコーラを拭いた時に言いましたよね。『蹴ってこぼすから床にカッブは置かないように』って。同じことを繰り返すのって、やっぱりおかしいですよ」
私はこの時も掃除道具を持ってきて、指示をしながら、××さん自身に掃除してもらいました。
自分でやるより倍以上時間がかかりましたが、それ以後、カップは床に置かれていません。これもまた、効果があったのではないでしょうか。
自分で掃除をしてもらう意味
私は、看護師が掃除をすること自体には抵抗感がありません。ですから、看護助手が忙しければ、私が掃除をしても一向に構わないのです。
そのうえで、こうも思います。せっかく看護師が掃除をするなら、看護として意味があることができればうれしい。
患者さん自身にも掃除に参加してもらったのは、やはり、掃除する大変さを経験することで今後の行動に気をつけてもらうためで、その動機づけを期待していたからです。
その際、「罰としてやらされている」という気持ちにならないよう、言葉にはかなり気をつけました。なるべく丁寧に、淡々と。いら立ちや怒りなどネガティブな感情が出ないよう、気持ちを整えながら声をかけました。
それでも、コーラの件では、「こぼれちゃいました」と言った男性患者さんの言葉には、一言、言わずにはいられなかったですね。
「〈こぼれた〉じゃないですよね。職って〈こぼした〉ですよね。カッブからは勝手にコーラはこぼれません」
この時私は、自分がやらかしたことだという自覚をもってほしかった。自覚がなければ、行動の改善にはつながりません。
このように、患者さんに対して指導的なかかわりをもつ時は、言葉選びにはとても悩みます。あとから「ああ言ってよかったのかな」と反省することもしばしばなのです。
今回ご紹介した事例に出てくる2人の男性は、いずれも20歳前後で発症した統合失調症の患者さんです。入退院を繰り返してはいるものの、多くの時間を病院で過ごしています。
それぞれ60代になり、作業所などの日中活動も休みがちになっています。入院の頻度はますます上がり、生活の中心が病棟へと移行してきました。
慢性期閉鎖病棟には、こうした患者さんが増えてきています。入院中も、最低限の家事能力や他者への気遣いなどが失われないようにする。それが、退院後の生活にとって大切になります。
自分で飲み物をこぼしたのなら、自分で掃除して汚いままにしない。そして、同じことを繰り返さないよう工夫する。患者さんの能力を維持するためにも、やりすぎは禁物です。
せっかちな私には見守る看護は難しく、つい手をくだしがち。決して“やらせるほうが楽”ではないのです。(『ヘルスケア・レストラン』2025年2月号)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある