お世話するココロ
第169回
身体の不調はまず身体科へ

「最近食欲がない。食べられなくてやせてきた。うつだと思う」身近な人からそんな相談をされたら、皆さんはどのように答えますか?私はやはり、まず身体の異常がないかが気がかりです。

敷居が下がった精神科受診

私が精神科で働き始めたのは1996年からで、はや、28年が経ちました。最初は総合病院のなかにある精神科病棟、その後精神科病院に移り、訪問看護室を経て、今の職場は慢性期閉鎖病棟です。この間、精神科受診の敷居はずいぶん下がってきました。以前は精神科疾患への偏見が強く、外来受診さえ避けたい人が多かったのです。

実感として、ストレスによるメンタル不調への理解はかなり進んでいます。精神科のクリニックが増え、心療内科を標榜するところが増えたのも関係しているかもしれません。
これは、精神科領域で働く看護師として、とてもありがたいこと。メンタル不調も、早く対処すれば治りがいいのは間違いありません。
たとえば、大きな出来事があり心身疲弊してうつ状態になっている場合を考えてみましょう。
うつ状態では、どうしても思考が否定的になります。否定的思考を続け、その状態で物事に対処すればいい結果は出にくいもの。こうした失敗体験がさらに自己否定感を生み、負のスパイラルに入ると、回復はなお遅れてしまいます。
それでも休めないのがうつ状態。適切に休んで英気を養うにも、眠剤や抗不安薬の助けが必要な場合も少なくありません。早期に治療を受ける人が増えたのは、本当によい変化だと思います。

私について言えば、精神科で働き始めた頃から精神科受診に関する相談をよく受けてきました。印象としては、より早期からの相談が増え、敷居が下がったと実感しています。ただ、なかには身体の不調をストレスと決めつけ、精神科受診を考える人もいます。
冒頭の「最近食欲がない。食べられなくてやせてきた。うつだと思う」という相談は、その最たる例。これをそのまま精神科に紹介していいのか、とても悩みます。
なぜなら、食欲低下と体重低下はうつ以外の身体疾患でも起こり得るからです。最も心配なのががん。1ヵ月で3kg以上の体重減少は、うつでも起こりますが、がんでも起こり得るのです。

精神科に来たばっかりに…

総合病院の精神科で働いている時、こんな例を経験しました。
長年うつ病を患う70代の男性は、うつ状態になると食事がとれません。ひどい時は5kg程度の体重減少があり、もとからやせ型の男性は、さらに身を細らせていました。
この時も同様の経過で、診察後、医師は入院を勧めました。「今回もうつですね。今までと同じように必ずよくなります。少し入院して休息しましょう」。本人も、付き添っていた妻も了承。いつもどおりの入院になったのです。
これまでは、抗うつ剤の点滴を始めて1週間ほど経つと改善の兆候が出てきました。まず不眠が改善し、少しずつ食事がとれるようになって、体重が下げ止まります。その後は気分がもち上がってきて、本人にも改善が実感できるようになる。こうなると、点滴を中止して内服に切り替え、退院の目処が立ってくるのです。
ところが、今回の入院ではうつが改善しても食欲がなかなか戻りません。そのため体重減少に歯止めがかからず、入院時よりもさらに減ってしまいました。
「うつの時は、食べられないんです。今の気分はだいぶいいんだけど、食欲がわかないなあ。なんか胃がもたれる感じもあり、先生に言って、胃薬を出してもらえますか?」
男性は、検温に回った私にこんなふうに話していました。主治医に報告し、しばらく胃薬を続けたものの、症状は改善しません。とうとう主治医は男性に、消化器の検査を提案しました。
「う~ん。食欲がまったく戻らないのはちょっと変ですね。消化器内科の先生に診てもらって、胃の内視鏡をしてもらいましょう。確かに、身体症状がメインのうつというのもあり得るのですが……。ちょっと心配です」
「先生、お任せします。昨日あたりから、食べ物を食べると酸っぱいものが上がってくるようになりました。診てもらうほうが安心です」
そして検査の結果は、なんと進行した胃がん。さらに精査をすると、すでに肝臓にも転移があり手術ができない段階とわかりました。
一度は消化器内科の病棟に移り症状の軽減を図ったものの、そこからのがんの進行はあっという間。胃がんとわかってから3ヵ月ほどで、男性は亡くなったのです。
男性が胃がんと判明してからの主治医の落胆は、周囲で見ていても気の毒なほどでした。
「もっと早くわかっていれば経過は違っていたでしょうかね。入院までに、外来でも食欲低下と体重減少は始まっていたんですよ。その時点で消化器内科を勧めていれば……。ご本人やご家族からはまったく責められないだけに、ものすごく後悔してしまう。患者さんやご家族に『精神科に来たばっかりに』と思わせてはいけないんですよ」

精神症状がつらければ併診を

私は今も、この時医師が縷々述べた言葉が、忘れられません。やはり身体の症状があれば、まずは身体科に診てもらう。これが基本なんですよね。
「患者さんやご家族に『精神科に来たばっかりに』と思わせてはいけないんですよ」。この言葉は、私も男性にかかわった医療者として、肝に銘じています。

では、主治医に落ち度はあったのでしょうか。私は2つの理由から、なかったと考えています。
まず1つ目の理由は、これまでの経過に照らし、異変を察知するのが極めて困難であった点。男性は何度となく、うつによる食欲低下と体重減少を繰り返してきました。今回も気分の落ち込みがありましたし、医師が過去と同様の経過と考え、うつの治療を開始したのは当然だったと言えるでしょう。
2つ目の理由は、今回の症状が出た時点で胃がんとわかっていても、転帰が変わらなかった可能性が高い点。通常、胃がんが進行して肝臓に転移するまでには、ある程度の時間が必要です。仮に外来で症状を聞いた時点で消化器内科に依頼して検査をしていたとしても、そこで発見が早まる時間は最大1ヵ月でした。
この1ヵ月の間にがんが一気に進んだと考えるより、すでに進行していて症状が出ていた。そう考えるほうが妥当だと思われます。

しかし、理屈ではそう考えても、医療者として「何かできなかったのか」という後悔が残るのは致し方ありません。私同様主治医もまた、男性のことは折に触れて思い出すのでしょう。
この経験から学んだのは、がんによる症状とうつによる身体症状は、意外に見分けにくいという事実でした。
そして、うつの情報が広まっている今、前述のように、体調不良をうつ状態と自己診断する人が増えています。それは事実かもしれませんが、身体の病気の可能性も否定できません。
やはり、身体症状があったらまずは身体科。症状によって何科に行けば行けばいいのかわからなくなったならば、内科がいいでしょう。内科の主な役割は、まず診断。迷ったら、電話で受診の相談をするのがいいと思います。
そして、不眠や落ち込みといった精神症状がつらければ、精神科に早くかかるのも大切。かつ、身体症状があるなら、並行して内科にかかる“併診”もお勧めです。

餅は餅屋と言います。身体の症状は身体科の医師に。精神症状は精神科の医師に。それぞれの専門性を活かした診療を受けられるよう、工夫したいものです。(『ヘルスケア・レストラン』2024年10月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある

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