お世話するココロ
第168回
きょうだい児のこと
皆さんは、「きょうだい児」という言葉を聞いたことがありますか?きょうだい児とは、重い病気や障がいをもつ兄弟や姉妹がいる子どものこと。具体的な障がいには、「発達障がい」や「知的障がい」「身体障がい」が挙げられます。
“きょうだい児”という言葉との出会い
“きょうだい児”という言葉を私が初めて聞いたのは、東京女子医科大学の博士後期課程に入学した2009年の春以降のことでした。
当時私は、臨床一筋のキャリアであるにもかかわらず、突如、看護学研究のフィールドに飛び込み、手当たり次第に論文を読み始めたのです。
私が取り組んでいたのは「質的研究」というジャンルの研究。インタビューを通し、そこに現れてくる心情や現象を探究します。実際にテーマを絞り、論文を書き出すまでは、領域を問わず、片っ端から質的研究の論文に目を通しました。
そうした経過で、たまたま障がい者の「きょうだい」について焦点を当てた研究をいくつか見つけ、強い関心を抱きました。
そのうちの1つが、『障害のある児のきょうだいに関する研究の動向と支援のあり方』1)という論文です。
この論文では、きょうだい児の特徴として、「弱者への配慮ができる」「自立している」という肯定的な研究結果がある一方、我慢が身に付きすぎることによる「自己主張の不足」「自己評価が低い」などといった否定的な結果も出ていることが紹介されています。
これは、看護師としてかかわる機会があった障がい者のきょうだいを思い返すと、いろいろと思い当たることがあります。
【参考文献】1)川上あずさ 障害のある児のきょうだいに関する研究の動向と支援のあり方
小児保健研究=The journal of child health,2009.68(5):p.583-589.
義弟はダウン症
身近なところでは、夫の弟はダウン症。夫にはほかに妹がいて、夫は60歳、妹は歳、ダウン症者の弟は49歳です。夫と義妹の義弟とのかかわりは、私から見るとかなり理想的な形に見えます。
両親が元気なうちは両親にほぼすべてを任せ、自分たちは自立した生活をおくる。親が歳を重ね、健康問題が生じたら自分たちが中心になって義弟を支える。
いろいろ苦労もありましたが、基本的には、支援の世代交代がうまくいった事例だと思います。
義弟自身も、45歳頃から心身の機能低下が始まり、老化が早いダウン症の特徴が顕著になってきました。長年働いた飲食店での仕事が難しくなり、作業所へ移行。さらに通所も難しくなったため、今は、送迎付きの生活介護に移っています。
この時期、住まいも両親との同居からグループホームへ移るという、大きな変化がありました。主に義弟の世話をしていた義母が体調を崩して入院。義父との2人暮らしは難しく、グループホームへの入居は幸運でした。
きょうだい児という視点から見ると、夫も義妹も「弱者への配慮ができる」「自立している」という特徴ははっきり見てとれます。
しかし、「自己主張の不足」「自己評価が低い」についてはまったく当てはまらず、どちらも過度な自責や卑下に陥らない、安定した自己評価ができる人。でも、自己主張はかなり強めです。
もちろん、きょうだい児といっても、もともとの性格もあり、こうした特徴がすべて当てはまるわけではありません。
それでも、夫と義妹はポジティブな特徴が当てはまる半面、ネガティブな特徴はまったく当てはまらない。むしろ、その真逆であるところがとても引っかかりました。
きょうだい児になった年齢
私が注目したのは、夫と義妹がきょうだい児になった年齢です。義弟が生まれたのは、夫が11歳、義妹が5歳になる歳で、そこから2人は障がいのある弟がいる“きょうだい児”になったわけです。
夫は弟が生まれた時、妹の成長と比べてかなり遅いことに気づき、母親にその理由を聞いたそうです。そこで、義母から知的障がいがあると知らされ、「腑に落ちた」と実に冷静に話してくれました。
ここからは私見です。夫の場合、すでに11歳という年齢まで育っており、そこまで十分に親の世話を受けていたのでしょう。そのため、きょうだい児にありがちな、過度の我慢というものを経験せずに育ち、幼少期に備わる特性が身に付かなかったと考えます。
義妹については、当時5歳とい年齢を考えれば、夫よりは幼少期に両親が手いっぱいだった時期は長かったと言えます。それでも、近くに祖父母がいたこと、また、6つ上の兄がいたことなどが特性をかなり薄めたのではないでしょうか。
最近では、いわゆる著名人のなかにもきょうだい児であることを公言する人が出てきました。私はブロ野球の広島東洋カープのファンで、大瀬良大地投手は大好きな選手の1人。彼もまた、2歳下の弟がダウン症であることを公表しています。
彼の、常に礼儀正しい、感情を露わにしない態度の陰に、私はどうしても弟さんの存在を考えてしまいます。それは、大瀬良投手にとって本意ではないのかもしれないのですが……。
でも、弱者への配慮ができ我慢強いというのは、美徳には違いあ強りません。ただし、自己主張を過度に控え、無理はしないでほしい。ついつい、そんな心配もしてしまいます。
以上、ダウン症という、生まれつき障がいのあるきょうだい児について書きました。事故や病気の発症による障がいの場合は、また異なる状況が出てくるでしょう。
きょうだい児への支援
私が普段かかわっているのは、精神疾患の患者さん。障がいの種類で言えば、精神障がいのある人とそのご家族が中心です。
多くの肉親から、強い嘆きと受け入れがたさが感じられ、「あんなに優秀な兄だったのに」「就職するまでは本当にいい子だったのに」『失われた過去を、涙ながらに語る人も少なくありません。
こうした反応は、義弟を通じて知ったダウン症者の肉親と比較すると大きく異なっています。
ダウン症は先天的な障がい。病気や事故で障がいを負った人とは、肉親の障がい受容に大きな違いがあります。
どちらの気持ちが楽で、どちらがつらいかというのは、私が云々できる話ではありません。それでも、ひと言できょうだい児と言っても、やはり、障がいの性質によっても事情は異なります。
障がいの“ある、なし”をその人が選べないように、きょうだい児についても選択の余地はありません。
だからこそ、障がいがあっても、きょうだい児であっても、大きな不利益を被らない、さまざまな社会的支援があっていいはずです。
きょうだい児にとって最大の不安は、障がいのあるきょうだいが親と暮らせなくなったあと、住まいをどこに確保するか。これに尽きます。
自分たちが同居するのでなければ、委ねる先をどこかに決めなければなりません。役所に相談し、入居可能なところをあたり、エントリーして、待機の列に並ぶ――。かなり煩雑な手続きが必要になってきます。
義弟は、幸いにもグループホームに入り、夫と義弟は必要な外出時の付き添い程度の支援を続けています。現時点でこれは、最良の支援だと感謝しています。
今後、さらに心身の機能低下が進んだら、今のグルーブホームにはいられなくなります。その先をまた見据えながら、動かねばならない時も来るでしょう。
時間とともに、支援の選択肢が増えることを、切に願っています。(『ヘルスケア・レストラン』2024年9月号)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある