お世話するココロ
第151回
マスクの問題

3年間続いた新型コロナウイルス感染症対策が、大きく変わりつつあります。喜びが大きい人、不安が大きい人、感じ方はさまざまだと思います。まずは最も早く規制が解除されるマスクについて考えてみました。

規制緩和の動き

政府は1月末、大型連休明けの5月8日に、新型コロナウイルス感染症の感染症法上の取り扱いを2類相当から5類に変更し、季節性インフルエンザ等とほぼ同等の扱いにすると発表しました。
この取り扱いが変更されれば、国や自治体が出していた、ある程度強制力のある指示が出せなくなります。では、ほかに何がどのように変わるのでしょうか。

まず、入院においては強制ができなくなります。ただ、これについてはもともとベッドが足りず、必要な人さえ入院できない状況だったので、実際には現在と大きく変わらないかもしれません。
また、熱があるとまず発熱外来を経なければならないという受診の制限もなくなります。理論的には今より診療が受けやすくなるはずですが、受け入れるかどうかの判断は個々の医療機関に任されており、実現するかは不透明です。

医療に関しては、これまで公費負担だった罹患時の医療費で自己負担が発生します。国は「段階的に」と言っていますが、おそらく今後は通常の疾患同様、保険診療が中心になっていくでしょう。
ただし、医療のなかでもワクチンについては、当面無料で接種する方向とのこと。ワクチン接種には社会を守る側面もあります。国がワクチン摂取推進の立場であれば、無料接種は続く可能性があります。

このように、医療体制については規制緩和でどのように変わるのか、不明な点が多々あります。一方で、緊急事態宣言による行動制限ができなくなるのは間違いありません。
個人や企業等に対する感染症対策への協力要請なども、今より力をもたなくなります。結果として、感染症対策が大幅に緩和される可能性もあるでしょう。
規制緩和後の変化が読めない理由としては、日本がこれまで行ってきた個人任せの対応があります。もともと日本の感染症対策は、法に基づく強制でなく漠然とした同調圧力によって、個人が国の要請に従う形で行われてきました。マスク着用しかり、外出の自粛しかり。それだけに、法律が変わったことで何がどう変わるのか読めないところがあるのです。

では、マスクはどうなるのか

国は2月10日、感染症対策として推奨してきたマスク着用について、個人の判断に委ねる新たな指針をまとめました。
具体的には、医療機関や混雑した電車の中など着用が推奨される場面以外、マスクの着用は推奨しません。これは3月13日からの変更となりました。
また、学校では4月1日からの適応ですが、その前の卒業式に際しても着用を求めないことを基本とする通達が出されました。本誌が出る頃には、実際に式が挙行されているわけですが、なかにはすでに習慣化しているマスクを外すのが不安、という人も多いのではないでしょうか。

マスクについて、私たち夫婦がどのようにするかを話し合いましたが、「個人と言われても、個人だけでは決められないね」というのが結論です。
まず、私も夫も組織に属する労働者。私は病院、夫は企業が示す方針に沿う必要があります。どちらの職場もマスクは勤務中必須、休憩時間の食事は黙食が指示されるなど、かなり厳しい職場なのです。
こうした職場の規制が3月13日以降直ちに緩むかと言えば、なかなか難しいと思います。特に私は病院に勤務しているため、一般の企業よりは感染症対策には厳しいのが常。患者さんを感染から守るため、常時マスクをするよう言われたらしないわけにはいきません。
また、お店に入る、交通機関を使う、といった時には、そこで何らかの指示があるのではないでしょうか。「店内に入る時はマスクをしてください」と貼り紙があれば、私たちはその指示に従うつもりです。
ただ、こうした指示があってもなくても、私はもう少し感染が収まるまでは、マスクをしていようと思います。それは、自分がうつされないためではなく、私が自覚症状もなく感染していた場合に人にうつさないため。マスクとは、そもそもそういうものなのです。

すでにかなり周知されていると思いますが、空気中に漂うウイルスはごく小さいため、マスクではなかなか防げないのです。ならばなぜマスクをするのかと言えば、自分の飛沫を飛ばさないため。
「うつされないためのマスク」であれば、する・しないは個人に任せていいでしょう。しかし、「うつさないためのマスク」という主目的を考えれば、果たして「個人の判断に任せる」でいいのか……。
感染させる可能性のある飛沫の問題は、たばこの煙と似ています。吸い込みたくない人が吸い込んでしまうリスクを少しでも避けるには、感染させやすい状況を国が提示して、必要な場面ではマスクの着用を勧めてほしいと考えます。

緊張はもう限界

一方で私は、感染症対策中心の生活はもはや限界だと感じています。経済の問題に焦点を当てる人も多いのですが、私が一番気になるのはメンタルヘルスを中心とした健康の問題です。
新型コロナウイルス感染症が問題になって、すでに4年目となりました。程度の差こそあれ、多くの人は感染状況に注意を払い、何らかの形で自主的な行動制限を行ってきたのではないでしょうか。
その結果、抑うつ的になり、なかには心身の不調が長期化している人も少なくありません。特に高齢者のなかには人との交流が途絶えたり、受けていた支援が受けられなくなり、認知症や寝たきりになった人さえいるのです。
もちろん、新型コロナウイルス感染がまだ収まりきらない以上、行動制限を緩めればまた感染者が増えるリスクがあります。しかし、だからといって常に感染するまいと緊張し、生活範囲を狭めれば、これもまた健康を損ねるリスクがあります。
いずれに転んでも不利益があることを理解し、一人ひとりが自分の行動を決めていかなければなりません。

感染拡大のリスクがあってもなぜ対策を緩めるのかといえば、ウイルスが変異によって特徴を変え、60歳以上の重症化率、死亡率ともに大幅に低下してきたからです。2021年に流行していたデルタ株は60歳以上の重症化率、致死率が4.72%、3.71%だったのに対し、現在感染者の多いオミクロン株は0.14%、0.475%です。
もちろん、重症化の可能性はゼロではないですし、死亡の可能性も否定できません。かといって、現状のままでも心身の健康が維持できない。それを思うと、この辺りで一区切りをつけたいと思うのは、当然なのではないでしょうか。その気持ちはよくわかります。
この状況で私は、ワクチンを打つこと、人と距離が近い時はマスクを使うこと、この2つを決めました。ワクチンについてはいろいろな考えがありますが、重症化を防ぐ効果は確認されているとのこと。これだけでも打つ意味があると考えました。

ワクチンもマスクも不要だったと言う人がいますが、私はその意見には賛成できません。ここまで皆で頑張って対策をとってきたからこそ、少し息がつけるようになったのです。
マスクに慣れて外せない人は、無理をする必要はありません。時間が経つごとに、変わっていくこともあるでしょう。一人ひとりの感覚の違いを認めながら、春を迎えましょう。(『ヘルスケア・レストラン』2023年4月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある

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