“その人らしさ”を支える特養でのケア
第58回
食欲に影響を及ぼすさまざまな要因
読者の皆さんは食欲不振の高齢者にかかわる機会が多いことでしょう。いろいろな角度からその方に適した方法を探り、アブローチしていると思います。食欲低下の要因は本当にさまざま。今回は当施設で経験した、嗜好から食欲不振を来したご利用者の事例を紹介します。
とある利用者からの給食に対する不満
「だいたいね、味もそっけもないおかずじゃ食べられないの。野菜はいろいろとごちゃまぜになっているし、いつもマヨネーズ味。揚げ物には勝手にソースがかかっていてシナシナだし。みそ汁はだしすら入ってないじゃない。前に利用した施設はソースがいるかどう聞いてくれた。野菜だって生のが出るし。ここはどうなってるの」目の前で滾々と並べ立てられる給食の苦情はそのとおりであれば「ごもっとも」なことばかりで、ただ黙って聞くしかありません。
この一幕のきっかけとなったのは、あるご利用者さんの食事摂取量が少ないため本人から話を聞いてほしいという介護職員の依頼でした。依頼を受けた翌日、私は食事摂取量が低下しているというショートステイをご利用中のTさんの居室を訪ねました。Tさんは認知機能に問題はなく、ADLが改善すれば在宅生活が可能ですが、現在は歩行が困難で数日前からショートステイで過ごされていました。
さっそく食事摂取量低下の原因をうかがうと冒頭の話をされたのでした。つまり、食事摂取量が低下しているのは、当施設の食事が嗜好に合わないことが原因だったのです。
当施設の給食は毎回検食されており、安全性のほかに味付けなども評価して、問題がないと判断されています。ちなみに、いつもマヨネーズ味ではありませんし、みそ汁にはだしも入っています。私自身も週に1~2回検食を担当していますが、まったく味がないと感じることはありません。しかし、Tさんの剣幕は私の舌がおかしいのかもしれないと錯覚してしまうほどでした。
私はTさんに、塩分は日本人の食事摂取基準に準じていること、施設内にはTさんよりはるかに高齢の方が多く、軟らかい食事が中心になっていることを説明しました。Tさんが納得したようには思えませんでしたが、面談はひとまず終了しました。
Tさんとの面談結果をショートステイのスタッフに伝え、今後の対応について検討しました。給食でできそうなことは、揚げ物などではソースを別添えにすることくらいです。検討の結果、給食は献立どおり出すが、Tさんの希望で朝食はバンを提供するという結論に至りました。私との面談以前に介護職員とTさんとの間でどんなやりとりがあったのかはわかりませんが、Tさんは好みの調味料やふりかけ、おやつなどを持ち込んで自由に食べていることから、現状維持でよいという判断になりました。
食欲不振への対応は食欲の仕組みを参考に
「食欲が湧かなくて食事が食べられない」という事例には日常的に出合います。これは高齢者施設に限らないでしょう。自分自身を振り返っても「今日は食欲がないな」と感じることはありますよね。空腹による食欲は、生きるための欲求の1つに挙げられます。胃の収縮や血糖値の低下などが影響して行動につながるのですが、これが「おなかが空いた」という感覚にあたります。
一方で、おいしさ、味、匂いなどの快楽因子や、ストレス、気分などの心理的因子、気温や運動などの生活環境因子によって影響を受ける食欲があります。これらは、生後の食行動によって積み重なった経験と学習によって定着します。また、それはおいしさの経験や食習慣などで修正が可能なものです。空腹でなくても好きな食べ物を見た時、「食べたいな」と感じることがこれにあたります。参考文献は子どもの食欲の発達について書かれたものですが、成人後も同じようなことが言えるかと思います。塩分制限をしていて「薄味に慣れる」というのが、経験と学習によって修正し定着したいい例です。
認知症を考慮に入れると、前述の内容とおりに当てはめるのは難しい部分も出てきますが、食欲不のご利用者のアセスメントを行う時に、食欲の仕組みとも照らし合わせ、提供内容だけでなく環境や心理的なことへの配慮も検討することを大切にしています。
その後のTさんは……
その後のTさんの食事風景を見ると、確かに塩分摂取量が多いなと感じます。今回のTさんの食事摂取不足は、給食とショートステ入所前の食生活との間で、味付け(主に塩分)の差が大きかったことが原因のように感じました。そして、当施設で提供する以外にもおやつを召し上がっている様子から、本来の意味での食欲不振による摂取量低下ではなかったように思います。
しかし、食欲の仕組みと照らし合わせてみると、単純に嗜好が合わないことだけが原因ではないようにも感じます。これまでとは違う環境での生活の不自由さ、自身の体調面での不安などの心理的因子によって食欲が減退し、食べやすい物を選んで食べていたのかもしれません。
Tさんはその後も気に入ったおかずは食べ、気に入らなければ残しています。また、主食はお茶づけ、おかずにはしょうゆなどを追加でかけるなど、ご本人の希望に合わせて過ごしていただいています。間食も続けていて、持ち込んだおやつを召し上がっているためか、心なしか面談の時よりふくよかになった気も……。
Tさんの歩行困難な理由は下肢に痛みがあること。体重も標準よりありそうなことを考えると、食生活を改善したほうがいいのにな、と感じていました。特養のご利用者であれば管理栄養士からアプローチしやすいのですが、ショートステイは介入しにくいのが難点(当施設だけかもしれませんが)。何とかTさんに食生活改善の必要性に気づいてもらえる方法はないかなと考えていました。
そんなある日、ショートステイの方々のためのクイズ大会に私が出題者として参加することになりました。管理栄養士、歯科衛生師、機能訓練指導員の三職種連携で行われる本レクリエーションは「健康な口で、しっかり食べて、十分動くことで元気を続けよう!」がテーマです。クイズ大会の会場に行くとTさんも参加しています。私は塩分摂取量と食事のバランスについてのクイズを出題。答えを間違えたTさんが悔しそうにしている場面もありましたが、終始笑顔で参加されていました。
このクイズを通してTさんに食生活改善のメッセージが伝わったかどうかはわかりません。でも、面談した時よりも明るく笑顔で車いすを自操していたり、歩行訓練に意欲的に取り組んでいたりする姿を拝見すると、以前より心の余裕が出てきたのかなと思います。さらに、食事の摂取量も以前よりムラが少なくなっていて、いい方向に進んでいるようです。(『ヘルスケア・レストラン』2022年10月号)
参考文献
1)久保田絹江:こどもの食と栄養 近大姫路大学教育学部通信教育課程. p15-16. 2013年.
特別養護老人ホーム ブナの里
よこやま・なつよ
1999年、北里大学保健衛生専門学校臨床栄養科を卒業。その後、長野市民病院臨床栄養研修生として宮澤靖先生に師事。2000年、JA茨城厚生連茨城西南医療センター病院に入職。同院の栄養サポートチームの設立と同時にチームへ参画。管理栄養士免許取得。08年、JA茨城厚生連茨城西南医療センター病院を退職し、社会福祉法人妙心福祉会特別養護老人ホームブナの里開設準備室へ入職。09年、社会福祉法人妙心福祉会特別養護老人ホームブナの里へ入職し、現在に至る