お世話するココロ
第144回
親ガチャという言葉

皆さんは「親ガチャ」という言葉をご存じですか?親ガチャとは、主にネットから広がった言葉。子どもの人生を大きく決める、<親の当たり外れ>を指しています。

「親ガチャ」の背景

「ガチャ」の語源は、株式会社バンダイが発売している「ガシャポン」。これは、お金を投入してダイヤルを回すとおもちゃなどの入ったカプセルが出てくる、自動販売機です。
それが転じて、ネットゲームなどでランダムにアイテムを得る、くじ引きのような仕組みを「ガチャ」と呼ぶようになりました。
「ガチャ」では、欲しいものを自ら選べず、何が得られるかは運次第。これが、「子どもは親を選べない」現実を説明するのに使われているのです。

ネットのフリー事典・ウィキペディアは「親ガチャ」について、「SNSの普及で他人の私生活の良い面が見えるようになったことで、羨望する他者との遺伝的要因(生まれ)と環境要因(育ち)の違いを「努力では挽回できない差」と“ガチャ”に例えた日本のインターネットスラング」と説明しています。
確かにSNSは、これまで私たちが知り得なかった情報をもたらしています。
たとえば、アーティストや芸能人、政治家などの情報。かつてはマスメディアでその生活の一端を知るだけだった人が、自身の生活風景などのプライベートな情報を公開するようになりました。
何気なくTwitterを見れば、そうした人が住んでいる素敵な家や、豪華なホテルへの滞在が投稿されているのです。自分の生活と引き比べて、うらやましいと思ったり、別世界の出来事だと感じたり……。
こうした状況で、多くの人がなんとなく気づくようになったのが、生まれつきの格差。その格差は親の経済力だけではなく、親から引き継ぐ、体格や体質などの遺伝的要因も含まれるように見えます。
「氏より育ち」=人間は生まれより育ちで決まる、と言われていたのが、「育ちも氏」=人間は育ちも生まれによって決まるとされるのが、「親ガチャ」の考え方と言えるでしょう。
そしてこれは、私たち自身、そして周囲の人々の人生と引き比べても、しばしば当てはまる話に違いありません。

反論と擁護

親ガチャという言葉については賛否さまざまな意見があります。まず否定的な意見から挙げると、次の2つのパターンが典型的です。

①「貧しい生まれでも努力をし勉強し、社会的に成功する人もいる。要は努力次第。何でも生まれた環境のせいにするのはずるい考え方ではないか。親ガチャなどという考えは甘えている」
②「確かに貧しい生まれでは子どもが学ぶのも大変で、それを自己責任とは言えない。悪いのは、そうした格差のある社会。親がチャという言葉で、なんとなく納得してしまうのはよくない」

私の周囲にも、こうした見解を持つ人は少なくありません。そし興味深いことに、それぞれについて、ある傾向が感じられます。
自分自身の努力によって苦難を乗り越えて来た人の多くは、①のように考えます。自分にもできただから、あなたにもできるはず。そんな経験値を持っているのですから、これは当然と言えるでしょう。
また、極めて恵まれた環境で成功した人のなかにも、強く①のように主張する人がいます。自分の成功はたまたまいい環境に生まれたから。そんなふうに言われることが、耐えがたいのでしょう。
そして、②のように考える人は、個人よりも社会に目を向ける人です。現代社会は教育を受ける権利が保障され、学び、努力することで、自分が望む生き方に近づくことができなければならない。そう理想を多くの人が持っているのではないでしょうか。
確かに、生まれによってその先の人生が決まる社会は、身分制度があった封建時代のよう。社会的格差をなくしていくのが、現代の大人の務めだと思います。

一方、「親ガチャ」という言葉に救われた。そう語る肯定的な人も少なくありません。
知人は、「親ガチャって言葉を聞いて、ものすごく気持ちが楽になった。うちは高校に入ったところで家が破産して。中退して、通信制の高校に入り直して卒業したの。いろいろな壁にぶつかるたび、自分の努力が足りないって思っていたの」と言います。
それが、「親ガチャなんだと思えば、全部が自分のせいじゃないわけでしょう。決して努力をやめるわけじゃない。ただ、自分を責めることをやめるだけ」
おそらく、こうした人によって、親ガチャという言葉は広がっていったのだと思います。

私も親ガチャ

私の場合、非常にキャラクターの濃い両親のもとに生まれたことが、その後の人生に大きく影響しました。その意味では、まさに親ガチャを実感しています。
私が育った家は、大黒柱が母親。母はいわゆる作家で、フリーランスでした。仕事のある時とない時があり、収入は不安定。そんな姿を見ていた私は、小さい頃から安定した収入が得られる仕事に就くのが夢でした。
私がいったん入学した大学を辞めて看護師になったのも、安定し収入を求める気持ちが強かったからです。私が大学に入った1980年代初頭は、女子大生の就職難が話題になっていました。
このまま卒業しても職が得られないのではないか……。その不安から、私は大学を1年半で辞め、看護専門学校に入り直したのです。

看護師として働き始めて、35年になりました。この間、文章を書く仕事もしてきたのは、やはりものを書く人だった母の影響だと思います。
必ずしも、母のつてで仕事をもらったわけではありません。けれども、ものを書く母の姿を見てきたことは、私の今の仕事に、大きく影響しているのは確か。
母のもとに生まれなかったら、私が今のように働いている可能性は、限りなく低いと思います。
子どもは親を選べず、その親のもとに生まれる。その意味では、まさに親ガチャは否定しようのない言葉です。

そのうえで、じゃあ親ガチャだけで人生が決まるのかと言えば、そうとも言えません。たとえば、同じ親のもとに生まれても、複数の子どもがいれば、それぞれに性質は異なるでしょう。
その意味では、環境だけで人間は決まりません。親ガチャという言葉は、過度に努力し、自分を追い込むタイプの人にとって、救いになるのは確かです。
しかし、使い方によっては、この親だから、もうこの子は伸びない。そんな決めつけにも使われてしまう可能性があります。
言葉は使いようです。「自分が苦労するのは、これまでの努力が足りなかったから」と自分を責めすぎる時は、「まあ、親ガチャだからね。親から引き継いだ限界もきっとある」。そんな風に気持ちを緩めるのもいいでしょう。

私も親ガチャ。そのうえで、自分の親や環境について、あれこれ考え、受け入れたりあらがったりして生きてきました。
人生は長く、自分の思うようにいかないことも多いものです。そんな時は、自分をなだめる言葉も必要。「親ガチャ」はそんな言葉の1つになりそうです。(『ヘルスケア・レストラン』2022年9月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある

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