お世話するココロ
第143回
金銭管理の葛藤

精神科疾患の患者さんのなかには、自分で金銭管理ができない人がいます。慢性期病棟では、日々の買い物を看護師が制限することもあり、患者さんの自主性を損ねないよう、配慮が求められます。

「俺の金なのに」

当院の慢性期病棟の患者さんの多くは、医事課に自分のお金を預けています。主な目的は盗難防止。多額のお金を病室に置くのは危険だからです。
特に新型コロナウイルス感染症が問題になってからは、外出制限のため、銀行に自由に行けなくなりました。そのため、医事課にお金を預ける人が増えているようです。
このようにして預かったお金の引き出しは、病棟で手続きをします。もちろん、本人のお金ですから、引き出しは自由。ただし、浪費をする患者さんでは、金銭管理の支援として制限を設ける場合もあります。
たとえば、ある患者さんは、医事課から引き出すお金は毎日600円ずつ。経済的な支援はすべてきょうだいがしています。ですから、入院費以外には月2万円の支援がやっとと聞けば、妥当な金額と言えるでしょう。
入院費のなかには食費も含まれているので、3食食べるだけならお金はかかりません。ほかに日常的にお金がかかるのは、洗濯関連。自分でするなら洗剤とコインランドリー代、私物洗濯サービスに出すならその代金がかかります。
こうした生活に必要な経費以外に、間食や飲み物、たばこ……。入院生活でも、お金は意外に減っていくものです。

ある時、どうしても雑誌を買いたいから600円とは別にお金を引き出したいと言われました。ところが、残金にはまったくゆとりがありません。きょうだいから入金があるまで、別に渡す余裕がないと答えたのです。
するとその患者さんはいつになく感情的になり、声を荒らげました。「病院の金じゃないだろう!俺の金なのに!」。
私はそうだよな、と思いつつ、こう答えました。
「確かにあなたのお金だから、本当は自由に使ってほしいんだけど、自由に使えるお金は2000円を切っています。ごきょうだいからお金が入らないと、あと3回しか、600円のお小遣いを引き出せません。先々困ってしまいますよ。だから今日のところは、我慢してください」
患者さんはむっと押し黙り、それきり何も言って来ませんでした。

訪問看護の時も……

訪問看護をしていた時も、金銭管理はしばしば問題になりました。アルコールやギャンブルなどの依存症の患者さんは、もらったお金を一気にそれに使ってしまう人もいたのです。
そのような場合、居宅支援の1つとして金銭管理のサービスを利用していた人もいれば、生活保護費を分割で受け取っていた人もいました。
それでも現金を手にすれば一気に使う人もいて、まず初めに食べるものを買い、食料を確保するよう支援した例もありました。

病棟の金銭管理と比較すると、外で暮らす患者さんたちはお金を使う場所が多い分、セーブするのが大変だったと言えます。
外にいれば、店での買い物以外にも、病院では対応しないと決めているネット通販も自由。その結果、有り金をはたいてサプリメントをたくさん買った人や、補正下着を買った人……。
生活保護費を使い切っては、役所で非常用のカンパンをもらい、月の半分以上をそれで食いつなぐ人もいました。
一方、入院中なら、病状に合わせた外出の制限があります。院内のみの外出ならば、お金を使うのは院内のコンビニか、自動販売機くらいしかありません。
そして、状況によっては使う金額も制限されます。不自由な分、お金を使い果たさないように守られているとも言えるでしょう。
病院の中は不自由ではありますが、保護的な環境にあるのは確かです。それだけに、とにかく外で暮らしたいと望む人の気持ちもわかるような気がしました。身体が衰え、生活が立ち行かなくなっても、好きなものを買って、食べて。安全より何より、とにかく自由でいたい……。
訪問看護では、入院を拒んだ利用者さんは自由を選択していたのでしょう。
病棟で働くからこそ、やむを得ず入院した人たちの気持ちを忘れないでいたい。そんな思いを強くしています。

何が大事かは患者さん自身が決める

ある時、金銭管理の支援が必要なヤマダさん(仮名)から、好きなミュージシャンのCDを買いたいと相談を受けました。
「僕が昔から好きなミュージシャンなんです。初回限定で写真集がついてて。3枚組だから8000円くらいして、高いんだけど、とうしても欲しいんです」
彼はそのアーティストのことをほめちぎり、それがいかに素晴らしいCDかを延々と語りました。顔面は紅潮し、かなり緊張しています。
この日私は、彼の支出に関して相談に乗る役割でした。彼が必死に私を説得しようとする姿を見てとても申し訳ない気持ちになったのです。

私は彼にはっきりと言いました。
「そのCDの価値はヤマダさん自身が決めればよくて、私を説得しなくてもいいんですよ。私が心配なのは、今その金額を使って大丈夫かということだけ。医事課に預けているお金の残高は数万円あるけれど、この先何か大きな支出はありませんか。それを教えてください」。
私が気になったのは、彼の身じまいでした。穿いているズボンは擦り切れ、かなりみすぼらしくなっています。
「たとえば、ズボンがかなり傷んでいますよね。できればこれは、買い換えたほうがいいのではないでしょうか」
「いいえ、これは今すぐじゃなくていいんです。ほかに2本あるし」
「そうなんですね。じゃあ、いよいよになったらほかのを穿きますか?」
私の問いかけに、彼は答えませんでした。今のズボンに何か、穿き替えることのできないこだわりがあるのでしょう。
「わかりました。その時はその時でまた考えましょう」とこの日はズボンについては特に決めずに終わりました。

ヤマダさんは経過の統合失調症。50代の時に両親が亡くなり、かれこれ数年入院しています。意欲低下や感情鈍麻が目立つものの、体調のいい時には雑談もできます。
このやりとりを通じて、私は金銭管理にあたっての方針が明確になりました。それは、私の価値観を押し付けないということです。
破れそうなズボンよりCDを買いたいという患者さんの選択は、賛否両論あるでしょう。私も、もし完全にそれが破れていて代わりのズボンが皆無だったら、もう少し強くズボンを勧めていたと思います。
それでも、ズボンよりCDが欲しい、という気持ちを否定する気はありません。自分が一番大切にしたいもの、何を置いても欲しいものは、大事にしてほしい。それは他人があれこれ言う話ではないはずです。
金銭管理は、その人が先々の暮らしに困らないように管理すること。反社会的なものでないかぎり、その人の趣味や好みは尊重したいと思います。(『ヘルスケア・レストラン』2022年8月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある

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