お世話するココロ
第138回
アルコール依存症と精神疾患

「同病相憐れむ」という言葉があります。同じ病気や苦しみをもつ人が互いに労り、同情し合うという意味ですが、実際にはなかなかこのようになりません。どうしてもなくならない、患者さん同士の差別意識があるのです。

喫煙所が分けられた!

私が今働いている精神科病院は、統合失調症やうつ病などの一般的な精神疾患を扱う精神科外来と別に、アルコール依存症を扱うアルコール外来があります。さらに、アルコール外来のある建物にはアルコール専門の入院病棟とデイケアが入り、アルコール依存症の治療は、ほとんどがこの建物の中で完結するようになっています。
なぜかというと、アルコール依存症の患者さんのなかには、精神疾患の患者さんを低く見る人がいて、時にトラブルになるからです。特に、言語表現がうまくできない精神疾患の患者さんがいじめられるパターンが目立ちます。
これは私の勤務先だけではなく、精神科で働く仲間と話すと、同じような話がたくさん出てきます。

ある病院では、統合失調症で入院している患者さんがアルコール依存症の患者さんから集団暴行を受ける事件が起き、警察が介入したと聞きました。また、金銭や物品をたかられ、自分が使えるお金がなくなった人もいたそうです。
このような出来事があると、職員は再発防止のため、これまで以上に患者間の人間関係に気を配らなければなりません。しかし、悪知恵の働く人は、職員の目を盗んで同じことをしようとします。

また、アルコール依存症の患者さんのなかには、精神疾患を差別し、同じ場所にいるのを嫌がる人もいます。院内で両者が出会うと、「あの、ブツブツ言いながら歩いている奴は気持ち悪いから外に出さないでくれ」と、職員に苦情を言う。
そんなアルコール依存症の患者さんを見かけることがあります。

かくして、病院側の工夫として、アルコール依存症の患者さんと精神科の患者さんの居場所を分けるようになってきました。一時期私が勤務する病院では、野外の喫煙所でさえ、分けていたほどです。
精神科での治療が必要、という意味では、どちらの患者さんも、「同病」と言えなくはありません。しかし、ともに差別されやすい病気だからこそ、「自分のほうがまし」「あいつらと一緒にされたくない」という感情が募るのが、人間の悲しいところに思えます。

訪問看護でも向き合う差別

ある時、訪問看護で前述と同じような状況を経験しました。アルコール依存症で長年外来通院している70代の男性のお宅にうかがった時のことです。彼はほかの患者と自分を比較して、こんな話をまくし立てました。
「30代の時に初めて精神科病院に入れられた時は、頭の完全におかしい奴らと一緒にされた。一日中笑っている奴とか、いきなりわけがわからないことを話しかけてくる奴とか。俺はアル中だけど、キチガイじゃないからさ。あんな奴らと一緒に入れられたのが屈辱で、なんとか早く退院しようと頑張ったんだよ」
「退院して仕事に戻ったけど、酒は止められなかった。結局すぐに大酒飲んで、止められなくなって、会社はクビ。上司が俺のことを嫌いだったから、さっさと辞めさせられた。収入がないのに飲んでいるから、妻は子どもを連れて出て行った。もともと気が合わないところもあったから、仕方ないんだけどさ」
「この間の入院は、アル中だけの病棟だったから、快適だったよ。やっぱり、病棟は分けたほうがいいね。キチガイは別の所に押し込めてほしい」

本来書くべきでない言葉も、あえてそのままに書きました。見苦しい点は、お許しください。けれど、彼が精神疾患の患者さんをどんなに貶めようとしても、彼の言葉から浮かび上がるのは、彼自身の不甲斐なさではないでしょうか。
そして、彼のこうした言動は、彼自身がアルコールを断ち切れない理由にもなっています。彼が職も家族も失ったのは、どう考えてもアルコールのせい。彼が飲酒を止められなかったから、会社をクビになり、妻も愛想を尽かした。それを前にすれば、上司や妻との相性など、二次的な問題に過ぎません。
にもかかわらず、彼は自分が飲酒ですべてを失ったことが認められません。上司が俺を嫌っていただの、妻と気が合わなかっただの、さりげなく相手に責任を転嫁しています。

アルコール依存症は「否認の病」といわれます。その否認とは、まず、アルコール依存症であることを認めない否認。もう1つは「酒さえ飲まなければ問題はない」として、自分自身の問題を認めない否認の2つです。
彼の言動からは、アルコール依存症によって多くを失った事実を認めない、明らかな否認がうかがえます。他者を貶め、自分を甘やかすかぎり、彼は自分と向き合えないでしょう。否認を止めるためにも、他者批判への逃避は止めなければなりません。

差別せずにいられない心理

このように書きながら、私はこの先ますます彼は、人を差別せずにいられなくなるのではないか。このように思っては、暗澹たる気持ちになります。なぜなら彼の老いは急速に進んでおり、アルコールの影響もあいまって、思考の幅がどんどん狭まっているからです。
物忘れがひどくなるにつれて、彼は先ほど書いた、聞き苦しい言動を、日に何度も繰り返すようになりました。思考力が低下すると、感情の抑制も難しくなります。使う言葉の気遣いはどんどん削げ落ち、悪態ばかりが目立つようになりました。

今や彼に、自分と向き合い、依存症である事実を認めるようにと望むのは、酷なのかもしれません。もう少し若い頃に、変化のきっかけはなかったのか。私は、精神科で働き始めた頃に聞いた、ある男看護師の話を思い出しました。その男性看護師は長年1つの精神科病院で働いていましたが、そここにもアルコール依存症の患者が統合失調症の患者をバカにし、いじめる構造があったそうです。
「アルコール依存症の患者にうんといじめられて、ものすごく腹が立ったんだろうね。ある時、アルコール依存症の人が集まるミーティングに、統合失調症でもともと知的障がいのある男性が乱入してさ。『お前たちは、俺たちのことをいつもキチガイだって言うけど、お前たちは、酒が止められないバカじゃないか。俺たちは、キチガイだけど、お前たちみたいなバカじゃない。バカバカ、バーカ!』って、大声で叫んで出て行ったんだよ。いつもは彼のことをバカにして、嘲笑っている男たちなんだけどさ。誰一人何も言わず、し~~~~んとしてた。それから、彼はいじめられなくなったよ。それだけじゃなくて、あの場に居合わせた人たちは、あのあとかなりよくなったんだよ」
この男性たちもまた、自分が抱える問題と向き合わないために、他者をバカにし、自分はまだまし、と甘やかしていたのでしょう。まさか反撃してこないと思っていた相手からの反撃は、彼らをはっとさせ、自分と向き合わざるを得なくさせたのだと思います。

私たちもまた、抱える問題が大きく、つらい状況にある時には、人を貶め、自分はまだましと考えたくなるかもしれません。つらい人ほど、差別せずにいられなくなる。そんな心理がある事実を、理解しておく必要があります。
精神科の看護師として長く働き、改めて、差別の問題を考えています。差別のない社会は誰もが建前としては望みますが、人間にはそれを阻む弱さもあるのです。
看護師は、患者さんの人権を守る立場。患者さんにも、私たちにもある差別の問題について、きちんと考えたいものです。(『ヘルスケア・レストラン』2022年3月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。現在は精神科病院の訪問看護室に勤務(非常勤)。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に「宮子式シンプル思考 主任看護師の役割・判断・行動力」(日総研出版)がある

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