お世話するココロ
第134回
あなたが言うなら

管理職からヒラのパートになって1年。今の働き方になじんでいます。最近、いつも頭を下げていた管理職時代を思い出す出来事がありました。

怪文書をまきたい

今私は、ある市民団体の代表を務めています。選挙にかかわる活動も行うのですが、これは公職選挙法という枠もあり、何かと気を遣います。

ある日、対立候補を批判するビラをつくって、近所にポスティングしたい、という相談電話が事務所にかかってきました。声から察するに年輩の男性のよう。話から、長年の支援者なのだとすぐにわかりました。
私は「法律に詳しい人に聞いてから連絡します」といったん電話を切り、然るべき仲間に連絡し、法律面からの助言を受けました。
当然、答えはNG。「絶対にダメ。怪文書をまきたい、ってことでしょう。やらないよう強く言ってください」と言われ、しばし思案を巡らせてしまいました。
支援者の気持ちを挫かぬよう、感謝を伝えつつお断りをするにはどうしたらよいか。これはなかなか難しい問題です。
けれども、こうしたよくない知らせほど、早く知らせるに越したことはありません。待たせれば待たせるほど、先方は期待するでしょう。私は折り返しすぐに電話し、丁重にお話ししました。
「先ほどお話ししました、代表の宮子あずさでございます。選挙管理委員会とのやり取りを担当する事務局長に問い合わせたところ、やはり法律上いけないとの判断でした。あちらの候補者に対しては、私も同じ気持ちです。けれども、選挙違反で摘発されたら元も子もありません。ここはぐっと抑えて、ぜひ口コミで広めてください。私もそうします」。
このようにお話しすると、電話口の男性は、「ああ、宮子さんでしたか。わざわざありがとうございます。それなら仕方ありませんね。その分こちらのビラをたくさんまくようにしましょう」。トップとしてお詫びをし、相手が「あなたが言うなら……」と納得してくれる。看護師長時代の感覚が、蘇る体験でした。

管理当直の経験から

私は7年間、8歳から45歳まで500床程度の総合病院で管理職をしていました。担当した病棟は精神科病棟と緩和ケア病棟。そこでの勤務もさることながら、月に2~3回輪番でまわる管理当直での出来事が、いくつか印象に残っています。

管理当直とは、夜間の看護部長代行業務。病院全体で1人だけ看護師長が勤務し、全病棟の概況を把握、何か問題があれば駆けつけなければなりません。
私が印象に残っているのは、看護師の対応に患者さんが怒り、収拾がつかなくなった状況への介入場面です。それはただの八つ当たりのこともあれば、実際対応に問題があることもありました。
本来の対応としては、①看護師の話を聞き、状況をきちんと理解する、②患者さんの言葉に耳を傾ける、③悪かった点をお詫びする、④看護師に対して行動を振り返ってもらい、悪かった点を改めることができるよう教育的にかかわる、といったステップがあるでしょう。
しかし、管理当直が呼ばれるのは、すでに問題がこじれている場合がほとんど。精神科看護の経験に照らし、夜中に込み入った話をしても、ネガティブな方向にいきがちなものなのです。
ですから、延々話をするよりも、短時間で話を終えるほうが無難だと考えます。そのため、①~③を限定的に行い、④は部署の看護師長にお任せ。火事にたとえれば初期消火が管理当直の役割と言えるでしょう。

当時の私は、まず、問題発生の連絡があったら、すぐに現場に駆けつけるようにしていました。電話で延々話を聞かず、困っている看護師のもとに早く行くことが大事です。
そして、現場に行ったら、話をざっと聞き、患者さんの所に行きます。とりあえず概要がわかればよし。いくら聞いても、部署の看護師長よりわかるわけはありません。
それよりも、少しでも待たせない。これが大事。これは、困って私を呼んでいる看護師にも、怒っている患者さんにも当てはまる話です。
なぜなら人間は、待たされるとそれだけで不安になり、イライラするものだからです。さらに「これだけ待たされたのだから」と、期待値も上がってしまうでしょう。待たせてよいことは、1つもありません。
また、私自身にとっても、迅速な対応は大事なのです。「もっと「情報を」とグズグズし出すと、きりがない。怒る患者さんの所に行くのが、ますます怖くなってしまいます。

頭を下げる醍醐味

患者さんと話を始める時は、なるべくゆったり、落ちついた態度で名乗ります。その際には役職もきちんと伝え、「管理当直の宮子と申します。夜間は看護部長の代行として、お話をうかがいます」とはっきり言って、挨拶をします。
いつもは役職にこだわらず、ケアにがんがん入る働き方をしていたのですが、この時ばかりは、役職を盛り気味に告げていました。なぜなら、怒っている患者さんに、「上の人に話を聞いてもらった」と思ってほしいからです。
自部署で働いている時も、主任が話しても通らなかった話が、私が話すと理解してもらえる。そうしたことがよくありました。それは、話し方や伝える能力の問題以上に、やはり役職がものを言っているのでしょう。
それは、下の人に申し訳ない部分もあるのですが、「上の者を出せ!」と怒る感覚は、私にもわかります。それは、権威主義という面も否定できませんが、きちんと組織として対応してほしい、という希望はあって当たり前。その意味で管理者に話を通したいというのは、当然の気持ちだと思うのです。

2009年3月いっぱいで管理職をしていた病院を辞めて以降、ヒラのパート看護師として働いてきました。この間、私がかかわった患者さんが、私に話しただけでは気が済まず、管理者に同じことを話したことが何度もあります。
その内容は相談だったり、苦情だったり、さまざまですが、やはり管理者に話さないと気が済まないのでしょう。「私もお話聞いたのですが……やはり科長さんに話したかったんだと思います。ありがとうございます」。こうお礼を言うのが今の日常です。

だからこそ、怪文書をまきたい熱い支援者の気持ちを受けとめ、「ここはぐっと抑えて」とお願いする。そして、「あなたが言うなら……」と納得してもらえた経験は、とっても貴重でした。
頭を下げてなんとかできるのは、管理職だからこそ。役職のない人間では、そうはいきません。それはまさに、頭を下げる醍醐味。私はお詫びして許してもらえた時、部下を助けられた気持ちになり、大きなやりがいを感じました。

一方、このように考えるきっかけは、謝れない管理職の下で苦労したからです。たとえば、「病院食がまずい」と怒る患者さんに対して、とりあえずは謝り、話を聞くしかないと思うのですが……。それを絶対にしないのです。
そうなると、私たちは、気が済まない患者さんから、苦情を言われ続けられることになります。そのつらさは忘れられません。
落ち度がなくても責任がある。管理者はそんな役割だと思います。当時を思い出しつつ、今の職場での気楽さを思い、謝れる上司に感謝するのでした。(『ヘルスケア・レストラン』2021年11月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。現在は精神科病院の訪問看護室に勤務(非常勤)。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある

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