お世話するココロ
第127回
コロナ下で迎える新人職員
コロナ禍の教育への影響は大きく、特に実習が必要な領域は大変です。多くの医療機関が実習を受け入れず、看護師や医師の教育に支障が出ています。この春に就職する人、それを迎え入れる職場。双方に不安が広がっています。
臨地実習の取り扱い
新型コロナウイルス感染症が私たちの生活に影響を及ぼすようになって、ゆうに1年が経ちました。この間、看護師を養成する学校は、大学、専門学校の別を問わず、臨地実習が困難でした。
ただし、この春卒業する学生が、どの程度臨床で実習できたかは、学校によってかなり事情が異なります。たとえば、最終学年前の実習時間が多い学校では、コロナ禍前にある程度実習を経験しています。
一方、最終学年に臨床実習が集中している学校では、ほとんど臨床に出られなかった学生もいます。この場合、学生はもちろん、受け入れる職場の不安も大きくなります。
では、ここまで厚生労働省や学校は、どのように対応してきたのでしょうか。
厚生労働省は、昨年6月の段階で、こうした事態を予測し、やむを得ない事情から病院などの実習が行えなかった場合、シミュレーションなどに替えてよいとの通達を出していました。
具体的な記載は、「臨地における実践は、対象の特性に合わせて看護技術を実践する機会であることから、学内での演習により代替する場合は、シミュレーション機器や模擬患者等を用いて、日々変化する患者の状態をアセスメントする演習や、学生同士による実技演習、患者とのコミュニケーション能力を養う演習等、可能なかぎり臨地に近い状況の設定をし、演習を行うこと」とあります。
通達を受け、臨床に出られない学校は、さまざまな工夫をしました。具体的には、学内でボランティアを相手に実習を行った例や、看護師が患者さんとかかわる場面をモニターで見る例などが報じられています。なかには役者を患者役とし、患者とのかかわりに近づける試みもありました。
こうした状況を見るにつけても、さまざまな制約のなか、教員はものすごく努力し、工夫していると感じます。そして、学生もその制約に堪えて、一生懸命学んでいます。しかし、いかに臨床での経験に近づけるよう努力をしても、当然限界はあるのですよね。
実際の患者さんとかかわっていないことは、学生にとって大きな不安材料です。それは実際どのような影響を与えるのでしょうか。
患者さんとかかわること
私自身は、学生にとって患者さんと一人でもかかわったかどうかには、とても大きな違いがあると思います。患者さんとかかわってこそわかることというのは、確かにあるからです。
私は1987年から2009年まで看護学校時代の実習病院で働きました。経験3年目以降は、母校の後輩たちへの指導も行いました。
いつの時代も、最初のハードルは患者さんのそばに行くこと。これに尽きます。私自身も学生時代は同じ経験をしていたので、気持ちはわかりました。このハードルを意識し、越えようとする体験が、とても重要だと思います。
実習に来た学生たちは、時に涙を浮かべて、こんな悩みを語ったものでした。
「患者さんが寝ている時に声をかけてもいいですか?」、「私が行くと、患者さんが嫌そうな顔をします。ベッドサイドに行けません」、「必要な情報を得るために話を聞いたら、何度も同じことを聞かないでと言われました」、「家族が来て全部やってあげてしまうので、私がすることがありません。どうすればいいでしょうか」
こうした悩みは、あまりに自分本位なのですが、学生の身になれば、やむを得ないところはあるのです。多くの学生は、実習記録に追われ、必要な情報を得るために患者さんのもとに行かねばならない。そんな義務感に駆られているからです。
実際、指導者である私自身も学生に対し、一定の成果は求めるわけです。学生が自分の実習を中心に行動したくなるのは、当然といえば当然。けれどもそれがいき過ぎてはいけません。
私の答えは、「自分のペースでいっぺんにやり終えようとしてはいけない」ということ。情報収集、具体的なケア、いずれにも当てはまります。そして、前述のそれぞれの問いについては、こんな風に答えます。
「寝ている時には声をかけずに出直しましょう」、「嫌そうな顔をされたら、いったん席をはずして、時間を置いていきましょう」、「患者さんから全部聞こうとしないで、事前にカルテを見たり、看護師に聞いたりしましょう」、「家族がいる時は、無理にケアをしないでかまいません。計画通りにできないこともあります」
患者さんの多くは、学生と付き合うのはしんどいのです。何より患者さんは、自分の病気を治すためにそこにいるのですから。学生の実習に無理をして付き合う義務は、まったくありません。
患者さんのそばに行くことの難しさ。このハードルを通じて、学生は、患者さんとの関係が、これまで経験してきた人間関係と決定的に違うと気づくのです。
意外に技術はなんとかなる
では、実際の患者さんとかかわる機会がなければ、患者さんについての理解は深まらないのでしょうか。私はそうは思いません。大事なのは、自分が何を学べなかったかをわかっておくことです。
患者さんの多くは、実習に来た学生と看護師とでは態度が違います。学生に対しては我慢しない。でも、看護師には我慢する。だから、ここで挙げた患者さんとかかわる難しさは、学生でないとなかなかわかりません。
ですから、学生時代患者さんとかかわれなかった人は、患者さんとの関係はこれまでの人間関係と違うこと、自分のペースを押し通してはいけないことを肝に銘じましょう。
そして、すぐにはうまくいかないと覚悟する。これは無用な落ち込みを避けるためにも大事な感覚です。
一方で、清拭や排泄介助などの看護ケア、注射や採血などの医療処置などの実技については、意外に大きな影響はありません。今や、臨地実習で実際にできる行為はかなり限られています。実習場に行っても行かなくても、医療行為は実際の患者さんではできないのです。
私が看護学生だった時には、患者さん相手に行った採血や注射は、のちに学生同士だけで行うようになりました。しかしそれすらも、今では学生同士で行うことも問題があると考え、模型のみで行うところもあると聞きます。
今や新人を受け入れる医療機関は、ゼロから医療処置を教えなければならなくなりつつあります。患者さんを相手にした実習ができてもできなくても、技術についてのスタートラインは大差ないのです。
新人時代を振り返ると、同期と比べ自分の出来不出来がとても気になりました。計画通りの臨地実習ができた人、できなかった人。混在すれば、どうしても意識してしまうのではないでしょうか。
そうした時に私なら、少なくとも技術については大きく変わらない、と言ってあげたいと思います。そのうえで、学べなかった可能性がある患者さんとかかわる難しさについては、話しておければと思うのです。
誰もが、生きる時代は選べません。このコロナ禍に医療職としてスタートするのも、たまたまの巡り合わせ。間違っても、世代の特徴と決めつけず、寛容にかかわりたいものです。(『ヘルスケア・レストラン』2021年4月号)
※参考資料「新型コロナウイルス感染症の発生に伴う看護師等養成所における臨地実習の取扱い等について」(https://www.mhlw.go.jp/content/000642611.pdf)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。現在は精神科病院の訪問看護室に勤務(非常勤)。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に「宮子式シンプル思考 主任看護師の役割・判断・行動力」(日総研出版)がある