お世話するココロ
第121回
「居宅死」に思う

8月に入り、ようやく梅雨が明けた東京。コロナ禍に猛暑が加わりました。これにより、体調を崩してひっそりと家で亡くなる人もいます。その時どのようなことが起きるのか。私の経験をお話しします。

発見時の状況

8月のある日、私は訪問看護の仕事で、アルコール依存症の男性が1人で暮らすアパートにうかがいました。この日は訪問を知らせる事前電話への応答はなかったものの、あまり心配せずに直接部屋を訪ねました。これまでにも時々、寝ていて電話に出てくれないことあったからです。

部屋の前に着いて、ただごとでない、と察したのは、ドアの郵便受けを見た時です。いくつか郵便物が溜まっており、一番上に差さっているのは、市からの封書でした。この時期、市からの連絡を待っている案件があり、彼がそれを放置するとは思えなかったのです。
時間から考えて、これが届いたのは恐らく昨日……。そう思った瞬間、中で彼が倒れていると確信しました。意を決してドアノブを回すと、鍵はかかっていません。私は上司に電話して、状況を報告し、ドアを開けて安否を確認することにしました。

そしてドアを開けて中を見ると、エアコンもテレビも電灯もすべてつけっぱなし。そして、布団の上でうつ伏せに横たわる男性がいました。近寄らず遠目に見ても、呼吸をしていないのはまず、間違いありません。

私はそのままドアを閉め、上司に報告したあと119番通報しました。名前と住所を告げ、応答がないので開いているドアを開けたら、うつ伏せに寝ている男性を見つけたこと、玄関から遠目に見たところでは、呼吸をしていないように見えることを伝えました。
それから10分程度で救急車とポンプ車が到着。全部で8人の救急隊員が来たのは、救命処置に備えていたのでしょう。しかし、救急隊は男性を見て簡単な心電図を確認し、「社会死」(社会通念上、誰が見ても亡くなっているとわかる状態)と判断。警察に通報し、引き継ぎ要員を残して帰っていきました。
すぐに交番から警官2名が到着。救急隊からの引き継ぎを受け、現場に入る準備を始めます。実際に現場に入るのは、警察署の刑事が来てからでした。そのあと、刑事による簡単な事情聴取に応じ、私の任務は終了しました。

静かな「居宅死」

この男性のようにひとり暮らしの人が誰にも看取られずに亡くなると、多くの場合「孤独死」と言われます。私はかねてから、この言葉に違和感があり、なるべく使いたくないと思っていました。
理由は、その人が孤独かどうかはその人が決めること。勝手に周囲が孤独と決めつけるのは、死者に対して失礼だと思うからです。

訪問看護にうかがい、亡くなっている人を見つけたのは、今回で2回目になります。テレビを見ながら寝ていて、そのまま亡くなったと見えるその姿に、「居宅死」という言葉が浮かびました。「在宅」のほうがなじんでいるようなら、「在宅死」でもかまいません。最近は、「居宅支援」という言葉をよく使うので、私は「居宅」が先に浮かびました。
「居宅死」という言葉は、価値を含まず事実だけを示します。この言葉だけでは人に看取られたか否かはわかりませんが、「訪問看護師が居宅死を発見」、「家族に見守られて居宅死」などと記載すれば、状況が伝わるでしょう。

独居の利用者さんにとって、「孤独死」は身近な問題です。「孤独死が怖い」「孤独死したら迷惑がかかる」。そんな心情をよく聞きます。
もちろん、その気持ちはよくわかります。でも、今は具合が悪くてもなかなか入院できない世の中。同居している人がいても1人の時間に亡くなることだってあります。死に方というのはなかなか選べないものなのです。

今回、男性の死にかかわり、私は、身寄りのない人が、誰にも看取られずに亡くなっても、意外に穏やかに事が運ぶのだな。そんな実感をもちました。ちょっと乱暴な言い方ですが、「居宅死」しているところを発見され、警察経由になっても、なんとかなる。今はそんな気持ちです。
そのうえで、願わくば、姿がきれいなうちに発見されますように。完全に防ぐのは難しいとしても、そのためには、安否確認のためだけでも、訪問看護に行く意味があるように思えました。

コロナ禍の「居宅死」

亡くなった男性は50代でした。まだまだ亡くなる歳ではありません。この方は人生にさまざまな苦労があり、最終的にはアルコール依存症に苦しみました。
ここに至るまでに、彼の弱さはあったと思います。でも、人間は生きる環境を選べません。妥当な表現ではないかもしれませんが、彼には運がなさ過ぎた。そんな風に思えてしまいます。
長らく断っていた飲酒を再開したのは、コロナ禍で外来への通院をやめ、電話受診で済ませるようになってからでした。そこに特別給付金が入り、酒代にこと欠かなくなり……。ぎりぎりだった肝機能は一気に悪化したのです。
体調が悪くて近所の病院に行っても、泥酔していて帰されてしまいました。もう、自分では止められないところまでいっていたのだと思います。でも、SOSは出せず結局飲み続けて亡くなりました。

この連載でも、以前コロナ禍で再飲酒をしてしまう「コロナ・スリップ」について書きました。男性の経過は、まさにこの典型だったといえます。
いったいどれだけ、こうした形で命が失われるのでしょうか。虐待しかり、DVしかり。先が見えないなかで、本当にやりきれない気持ちになってきます。
感染予防には、なるべく人とかかわらず、家にこもることが推奨されますが、それでは失われる命もあるという事実。こちらにも目を向けた対策が求められます。
また、男性は亡くなる1カ月前に発熱があったため、コロナウイルス感染の可能性も踏まえた対応を余儀なくされました。恐らくは肝機能障害による発熱だったと思うのですが、精査していない以上、可能性は否定できません。私も、発見時含めて室内には上がらず、感染予防に努めました。

コロナ禍の現状では、救急隊、警察の業務も、感染対策を伴うため、とても煩雑になっています。
特に、今回駆けつけてきた警官は、原子力災害にも使われるタイベックスーツにN95マスクでの完全防備でした。猛暑の折、したたる汗は尋常ではなく、本当にこの先が思いやられました。

毎年夏は熱中症で倒れる人も多く、不幸にして亡くなる方もいます。熱中症は熱が出るため、今回のような対応を繰り返すことになるでしょう。そこにかかわる人の負担は計り知れません。

多くの宿題を残した男性の死。彼の冥福を心から祈ります。そして、この体験から考えたことを、また深めていきたいと思います。(『ヘルスケア・レストラン』2020年10月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。現在は精神科病院の訪問看護室に勤務(非常勤)。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に「宮子式シンプル思考 主任看護師の役割・判断・行動力」(日総研出版)がある