お世話するココロ
携帯電話の普及が変えたもの

携帯電話は持っているのが当たり前の生活必需品。うっかり忘れて外出した時の心細さといったら……。携帯電話の登場は、医療現場も大きく変えました。

急速に進んだケータイの普及

携帯電話の3Gサービスが完全終了したのをご存知でしょうか。以降、3G回線のみの対応機種はいっさい使えなくなります。
3Gサービスとは、第3世代移動通信システムを指し、2001年10月「FOMA」としてドコモがサービスを提供。現在の主流は4Gと5G。3Gに比べれば通信速度が非常に早くなっています。
動画が当たり前のようにスマートフォン(スマホ)で見られるようになったのも、この高速化の恩恵に他なりません。昔を知る者としては、まさに隔世の感があります。

携帯電話の普及について長期的変化が見られる総務省のデータによれば、1993年には3.2%だった普及率が10年後の2003年には94.4%に上昇しています。
特に上昇したのは1996年から97年。約25%から約50%へと急上昇。思い返せば、私も確か97年頃に初めて携帯電話を使い始めたのでした。
あれから30年以上が経ち、普及率は96%程度と横ばいになっています。ほぼ飽和状態とも言えますが、スマホが占める割合が増え、昨年は携帯電話所有者の98%を占めています。

機械としての携帯電話の進化には目覚ましいものがあります。何より驚くのは、その小型化。私が就職した1987年頃の携帯電話は大きくて重くて高く、ごく一部の人が持つ贅沢品だったのです。
しかし、常に人と連絡がつく携帯電話は、一度手にしたら手放せない、便利さと安心を私たちにもたらしました。一気に普及し進化し続けているのは、やはり人間の欲求に沿ったものだからでしょう。
今や携帯電話は、通話機能よりもネットにつながる端末としての役割が大きくなりました。スマホを通じて人やモノ、情報とつながる世界。これはおそらく、昔のSF小説よりも進化しているのではないでしょうか。

携帯電話の恩恵

私たち夫婦が携帯電話を買ったのは30代半ば、長時間労働が当たり前だった頃。振り返れば、結婚以来の共働きも、ずいぶんと携帯電話に助けられてきたと言えます。
当時、夕食の基本は外食。仕事が終わるとメールで連絡を取り合い、おちあう駅を決めたものです。
その頃の楽しみはラーメンの食べ歩き。20時頃まで働き、ラーメン屋にたどりつくのは2時過ぎ。そんな日も少なくありませんでした。
携帯電話は、夫婦2人がそれぞれの職場で存分に働き、かつ、ともに過ごす時間を捻出するのに欠かせないツールだったと言えます。

そして、携帯電話を使い始めてすぐに父親の肝臓がんが発覚。数年にわたって病状は安定していたものの、治療のための入院を繰り返すようになりました。
身内に健康問題が生じると、緊急時の連絡手段として携帯電話は欠かせなくなります。
2001年の春に父が亡くなった時、急変を知らせる電話のおかげで死に目に遭うことができました。その後膠原病を患い、何度も急変を繰り返した母も同様です。
母の容態を気遣いながらも、何か変化があれば近くにいる人から連絡をもらえる。その安心感で仕事と看病の両立ができました。
もしも携帯電話がなければ、親が不調な問、私はそばを離れるのは難しかったでしょう。両親のケア、そして看取りに、携帯電話は大きな力になってくれたのです。

また、入院が徐々に長くなる母にとって、離れていてもいろいろな人と連絡が取れるのは心強かったようです。指が自由に動かせる間は常に携帯電話を握り、あちこちにメールを送っていました。
自由に動けなくなっても好きな人とどうにか連絡が取れる。本当に素晴らしいことだと思いました。

臨終の変化

携帯電話の普及率は、03年時点で94%。この頃から、携帯電話を持たない人は圧倒的少数派になったと言えます。
この変化は、医療現場にも大きな変化をもたらしました。まず、患者さんに異変があった場合、近しい人といつでも連絡がつく。これは、本当に大きかったですね。

1987年に働き始めた内科病棟では、年間、50人前後の人が亡くなっていました。病状が悪くなると、臨終に立ち会いたい人は病院につめるのが当たり前。その場を離れれば連絡をとる術がないからです。
しかし、人の命の最後はそうそう予想どおりにはいきません。「いよいよその時」と集まってみれば、意外に長く低空飛行が続く。そんなこともままありました。
長くなればそれぞれの暮らしに影響が生じ、だんだんとその時を待つような雰囲気になってきます。ただ、今にして思うと、患者さんの死を受け入れていくひとつの流れだったようにも思えます。

携帯電話がなかった頃には、急変に際し、近しい人に連絡がつかないなんて、当たり前の状況でした。「家族に電話して!」と先輩から言われて自宅の固定電話に電話すると、虚しく留守番電話のメッセージが聞こえる……。そんな経験を何回したかわかりません。
臨終の場にいるべき家族や友人が間に合わないがために、心臓マッサージなど、最低限の蘇生が行われるのもよくあることでした。
こうした儀式的な蘇生をしなくてすむようになったのは、携帯電話の普及も大きかったと思います。
加えて、「集まるべき人が集まった時に死亡確認をする」という柔軟な臨終への対応も普及していきました。
これは、本当に好ましい変化だと思います。

「連絡がつかない」ことへの不安の高まり

このように、携帯電話の普及は、医療現場にさまざまな変化をもたらしてきました。おおむね良い変化だと思うのですが、あえて問題を挙げるなら、「連絡を取りたい人と連絡がつかないことへの不安」が高まった点でしょうか。
今でも、患者さんの病状が悪くなった時、連絡すべき人と連絡がつかない状況は起こり得ます。たまたま電波が届かない所にいたり、電源を切っていたり。あるいは、携帯電話を忘れて外出している場合もあるでしょう。
携帯電話が普及する以前ならそれもありがちな話でした。メッセージを残して折り返しを待ったり再度連絡をとったり。不安な気持ちを抱きつつも、私たちは待つしかなかったのです。
しかし、今はこうした状況になると、医療者自身もなんとも落ち着かない気持ちになりがちなんですよね。
携帯電話がない時は本当にどうしていたんだろう。そんなことを年配者同士で話すことがあります。昔を知っていてもそうなのですから、幼い頃から携帯電話とともに育った世代には、想像もつかないことだと思います。

ここからは話が飛躍するのですが……。いわゆるストーカー事件が増えたのも、こうした「連絡がつかないことへの不安」がかかわっているのではないでしょうか。
携帯電話は常に誰かとつながれる状況をつくりました。それが突然断ち切られ、連絡がつかなくなるわけです。その不安が怒りに変わるのに必要なのは、わずかな時間でしょう。
もちろん、誰もがストーカーになるわけではありません。とはいえ、ストーカーが爆発的に増えてきた背景には、携帯電話の存在があるのではないか……。
精神科で長く働く私としては、ついついそんなふうに考えたくなるのです。
道具の進化が人の気持ちのありようを変える。そんな視点もまた、大事なのではないでしょうか。(『ヘルスケア・レストラン』2026年6月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある

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