ケーススタディから考える診療報酬
第43回
人が少ないからこそ……
多職種連携環境を整えよう
2024年度診療報酬改定議論で「2025年から現役世代の急減」という文言がありましたが、実際、25年に突入すると「求人が思うように来なくなった」との声が増えてきたように感じます。少子高齢化が短期的に回復とは考えにくいなか、限られた人員で医療の質を担保するには、多職種連携による業務の効率化が必須でしょう。今回は、多職種連携が叫ばれる今、「タスクシェア/シフトをどう実現したら良いか」悩む病院の例を紹介することで、チーム医療を実現させていく環境づくりについて考えていきたいと思います。
ケース:人材の過不足で一喜一憂
*今回とりあげたテーマについて、実際に現場で起こっている問題を提起します
(特定を避けるため実際のケースを加工しています)
海に面する都道府県にある200床規模のケアミックスA病院では、専門職者の求人に苦労しています。
A病院事務長「事務職や医療従事者は多いほうが良いのはわかります。しかし、人件費の上昇や働く現役世代が少ないなかで行う採用は無理難題。人を入れたら必ず収入が上がる補償もありません。『人を入れてくれ』という部署に採用しても定着せずに離れていくし……。こういう病院が多いと思うのですが、国としては多職種連携を図りたいのですよね。人がいないので無理な話です。DX化ですか?どのくらい効果があるのかわからないものにお金をかけるなんて無駄!外国人の採用ったって。どうしてもというなら考えるけど……」
A病院で採用が進むのは医師のみ。医師以外の採用強化をすすめたくとも事務長の思いが強く、行動を起こすことができません。ついに、ギリギリの人員配置という危機管理不足から突然の退職が。結果、届出を出していた地域包括ケア病棟入院料1の施設基準「入退院支援加算1」の要件を満たせず、入院料の減算と入退院支援加算の点数滅を選択せざるを得なくなりました。
一方、200床規模のケアミックスB病院では、職員の配置数も多く人材は充実。以前から、リハビリテーションや管理栄養士の土日・祝日の出勤体制を構築していました。医療の質向上や思者満足、医療従事者のモチベーション向上につながるという想いが事務長にあったからです。
B病院事務長「今が一番人材を獲得できるときと意識すること、今いる人材を大切にすることで採用コストを抑えることが、事務長の役割だと考えています。職種により人員の過不足については連携で補っています。診療報酬改定で多職種で行うケアが評価されるようになり、これまでのケアが収入につながるようになりました。正しいことを行えば評価がついてくると信じ、今後も「人」については攻めの戦略をとりたい。医療DX?今後も人材は不足していくと思いますので、勉強会やデモンストレーションを行い検討しています」
B病院では人員が充足しだしてから職員定着率が向上。組織間で問題が起こらないことはないが、多職種連携の環境整備で、収入につながるさまざまな改善に向けた取り組みにも動きやすくなっています。
今回のケース、どのような感想を持ちましたか?少子高齢化で地域によっては極端に現役世代が減少しているところもあるなか、診療報酬改定(特に人員の充足が求められる内容)に応え続けていくのは難しい環境にあろうかと思います。人がいないから多職種連携ができないという発想から、「人がいないからこそ多職種連携を行う」という視点をぜひとも持ちたいものです。
人材の獲得という課題には、自院の組織づくりを冷静に見直すことも重要だと考えます。今回のケースのように、同じような人口構造であっても人材を獲得できている病院もあるようです。
人材が集まる病院にしていくことは一朝一夕に行えるものではなく、中長期的な対策が必要となってくるのです。
そもそも、人が集まれば連携が自然発生的にできるのではなく、多職種で話し合って結論を導き出すなど連携できる組織づくりを行うことが重要。近年、「組織づくりについて学びたいのだが」という依頼も増えています。多職種で支え合える組織となっているかどうか、ぜひ、組織構造を見直す機会を設けることをおすすめします。

参考に、中医協資料で取り上げられていた専門職種が関与する病棟業務に関する一覧を紹介します(上図表)。限られた人員で最大限の医療の質を担保できる組織をめざすための参考になれば幸いです。(『最新医療経営PHASE3』2026年1月号)
結論
少子高齢化と職員構造に鑑み
めざす組織づくりを実現できる土台をつくろう
株式会社メディフローラ代表取締役
うえむら・ひさこ●東京医科歯科大学にて看護師・保健師免許を取得後、総合病院での勤務の傍ら、慶應義塾大学大学院にて人事組織論を研究。大学院在籍中に組織文化へ働きかける研修を開発。2010年には心理相談員の免許を取得。医療系コンサルティングを経て13年、フリーランスとなり独立

