お世話するココロ
第177回
カスタマー・ハラスメント防止条例
カスタマーハラスメント(以下、カスハラ)とは、客からの迷惑行為のこと。この4月から、東京都や群馬県などでこの防止条例が施行されました。私たち自身を守るカスハラ防止条例を、一緒にみていきましょう。
医療現場はカスハラ天国?
看護師も管理栄養士も、何らかの健康問題を抱える人とかかわるという点では、似た環境で働いています。
私たちがかかわる相手は、患者さん。私たちは基礎教育を通じて患者さんの側に立ち、その意を汲みながら支えるよう教育されてきました。
それ自体はとても大事なことなのですが、問題がないわけではありません。仮に、患者側に問題があってひどく傷つけられても、耐える医療者がとても多いのです。実際私も、患者さんから暴言を受けた際、腹を立てつつも自分の落ち度を振り返る傾向があります。
また、病状の悪い患者さんに対して何か言い返してしまうと後悔するのではないか。そんな気持ちもあります。
ある時私は、物を投げてきた患者さんに強い口調で言い返した直後に、その人が急変。後からひどく後悔しました。
「何度呼んでも来ないじゃないか。どこで油を売っているんだ!」と怒鳴りながら、枕元のティッシュの箱を投げた彼に、「お待たせしたのは申し訳ありません。でも、患者さんはあなただけではないのです」。丁寧な言葉で言ったつもりではあります。けれども、やはり言わなければよかった。そんな後悔にしばらく苦しみました。
では「患者さんの具合が悪いのだから」と、すべてを水に流せるのでしょうか。答えは、否。そこまでなかなか寛容にはなれません。
できることなら、傷つけられた時は傷ついたことをきちんと伝える。私たち自身が自分を守るために、そこまでは許されていると考えます。
たとえば東京都が制定したカスハラ防止条例では、「何人もカスハラを行ってはならない」と規定し、客や従業員、事業者に対し、カスハラを防ぐための対応を責務として求めました。
実際にはカスハラに晒されながら、それをカスハラとは受け止めず自分を責める傾向のある人にとって、こうした条例は力になるのではないでしょうか。
カスハラの具体例
東京都は、独自に作成した各団体共通マニュアル(マニュアル作成の手引き)に沿って、各団体が独自のマニュアルを作成するよう求めています。
まずは、その共通マニュアルでは、どのような行為が実際にカスハラと認定され得るのでしょうか。都は、各団体共通マニュアルカスハラについて、要求態様、要求内容、時間・回数・頼度という3つの着目点を示したうえで、それぞれについて該当する行為を次のように示しています。
①要求態様:侮辱的な言葉(例:人格否定)、暴力行為(例:物を投げる)、威圧的態度(例:怒鳴る)等
- 「馬鹿」「死ね」といった暴言を伴う
- 苦情を言われた
- 苦情の際に顧客等の手元にあった物を投げつけられた。
- 冷静な口調で「早く持ってこないと、ただではすまないぞ」と言われた
- 大きな声を上げながら「いつまで待たせるんだ、早く持ってこい」と言われた
- テーブルを叩きながら「早くしろ」と言われた
- 就業者を撮影しながら「動画をSNSにアップするぞ」と言われた
②要求内容:高額な賠償の要求(例:高額な食品の要求)、苦属を伴う行為の要求(例:土下座の要求) 等
- 慰謝料・迷惑料の名目で金銭を要求している
- 該当の商品とは異なる高額な商品の提供を要求している
- 土下座での謝罪を要求している
- 書面での謝罪を要求している
- 就業者を解雇するよう要求している
③時間・回数・頻度:長時間の拘束(例:何時間も話し続ける)、社会通念上不適切な時間(早朝・深夜等)の電話、同じ内容を繰り返し話し続ける、毎日何度も電話をかける 等
- 苦情の際に大きな声をあげる行為が〇〇分(時間)にわたって続いた
- 勤務時間外である早朝・深夜に携帯電話で苦情があった
- 商品に全く瑕疵がないにもかかわらず、毎日店舗に訪れ、新品に交換するよう要求し続けている
- 「○回」にわたって対応できないと退去命令したにもかかわらず、店舗に居座り続けている※
※「カスタマー・ハラスメント防止のための各団体共通マニュアル」よりhttps://www.hataraku.metro.tokyo.lg.jp/plan/kasuharamanual_20250314.pdf
変わる医療現場
こうした具体的な事例をみて、皆さんも、ご自身の経験にあてはまるものが多々あるのではないでしょうか。
先ほどお話しした、患者さんから物をぶつけられた例を見てみましょう。
まず、要求態様にある以下の例示にあてはまります。
苦情の際に顧客等の手元にあった物を投げつけられた。
大きな声を上げながら「いつまで待たせるんだ、早く持ってこい」と言われた。
そして、回数・頻度については、とにかく1日中呼ばれていたわけなので、いくつもの条件から、カスハラに該当したのは間違いありません。
では、その患者さんの行為がカスハラにあたるとして、私たちにできることはあるでしょうか。
たとえば、娯楽施設やホテルであれば、カスハラを繰り返す客は「二度と来るな」と出入り禁止にする対応があり得ます。ホテルに宿泊中の客であっても、その場で追い出すことがあっても不思議ではありません。
では、病院や施設の場合、こうした対応がとれるのでしょうか。
これは私の管理職時代の経験ですが、精神科病棟で、喫煙ががまんできずに病室で吸ってしまう人を退院させたことはあります。
また、治療方針に沿わず看護師に暴言を吐き続ける患者さんに対して、「治療に沿わないならば入院の意味はない」と主治医が言い、退院に至った例もありました。
あるいは、グループホームに退院したもののルールに従えず退去となり、病院に戻ってくる患者さんは決して珍しくありません。
ただし、このように強硬な対応ができるのも、命にかかわらないから。これがもし、患者さんの身体的な状態が悪く、どうしても人院治療が必要であれば、追い出すわけにはいきません。
実際、理解力低下や衝動性が、全身状態の悪化と関連する場合もあります。
こうして、医療現場のカスハラ対応はしばしば、困難を極めるのです。ですが、だからこそ、カスハラには個人ではなく、組織として取り組むことが大切です。社会がカスハラに目を向け、今回のような条例ができることには大きな意味があると考えます。
条例ではカスハラについて、「働く人を傷つけるのみならず、商品またはサービスの提供を受ける環境や事業の継続に悪影響を及ぼすものとして、個々の事業者にとどまらず、社会全体で対応しなければならない」と述べています。
残念ながら、条例は罰則を伴うものではありません。しかし、各団体がマニュアルを作成する過程において、それぞれの業界の特徴を踏まえた対応策が明らかになるはずです。
機会があれば私たちも、事例を提供し、実効性のあるマニュアル作成に貢献していきましょう。(『ヘルスケア・レストラン』2025年6月号)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある