お世話するココロ
第170回
米を巡って
この夏、スーパーや小売店から米が消えました。新米の季節まで品薄は続くようです。皆さんの職場、そして食卓への影響はいかがでしょうか。
本当に米がない
8月最終週のことです。私と夫は行きつけのスーバーの米売り場に行き、いつもとまったく違う光景に仰天しました。
米売り場に米がない……。報道されている米の品薄は、本当だったのです。
少し前まで、そこの広い米売り場にはコシヒカリ、あきたこまちなどなど、多くの品種が置かれ、容量も10kg、5kg、2kgとさまざま。また、白米以外にも玄米、餅米、麦なども並んでいました。
ところが目の前にあるのは、2kgの餅米のほか、米に混ぜる雑穀ばかり。その横に、レトルトのお粥とレンジで温めるご飯が置かれており、「どうしても米が食べたい人はこちらを買って」。そんな店からのメッセージが読み取れるようでした。
とはいえ、それだけでは売り場の広い棚は埋まりません。空いたスペースにはせんべいなどの米菓子のほか、カップ麺がぎっしり置かれています。
これもまた、「お米はないので、麺でしのいでください」とのメッセージのようで……。
かえって、本来あるべき米の不在を強く感じました。
「米がないからレトルトのお粥とかレンチンご飯ならわかるけど、おせんべいとかカップ麺を置くのはやめたほうがいいと思うなあ。なんか、「こっちは米が食べたいんだっ」と怒りたくならないかしら。思いっきり消費者心理を逆撫でしていると思う」
そう私が言うと、夫はいつものように私をなだめます。
「そう言ったって、米がないのは店のせいじゃないんですから。空いている棚を空いたままにできないんだから、しょうがないんじゃない」
「え~。だったら、もっと関係のないものを置いたほうがいいんじゃないかな。せんべいとカップ麺は妙に米と近すぎて、かえって外してる」
こんなふうに冗談めかして笑っていたのも、不安の裏返しとも言えます。
主食に占める米の率が低いわが家であっても、米売り場に米がない光景は、心細いもの。正直、急いで買わなくていい米でも買ってしまいそうになります。
不安からの買いだめがさらに品薄を加速する。そのことを肝に銘じ、厳に慎みたいと思います。
米の品薄はなぜ?
それにしても、今回のように米の品薄が叫ばれる以前、この国ではむしろ“米余り”が問題になっていたのではなかったでしょうか。少なくとも、私はそうした認識でした。
改めて歴史を紐解いてみると、1969(昭和44)年から、米の作付面積を減らして生産量を減らす、いわゆる“減反政策”が始まっています。
減反政策では、生産量の目標を生産者に配分して生産調整を行い、別の作物をつくる転作に対しては補助金を出してきました。
98(平成10)年、減反政策は制度的には終了していますが、実質的には今でも継続されているというのが、多くの専門家の見方。長期的に見れば、米の生産量減少は継続されています。
一方で、米の需要も減少し、よほどの凶作ではないかぎり、米不足は起こりません。今回、さまざまな報道にあたってみると、米の品薄にはいくつかの要因が重なっているようです。
以下、目について「なるほど」と思った理由をまとめてみます。
①猛暑による不作
昨年の猛暑で品質のいい米が採れず、割れやすかったり小さい粒のものが多くなった。そのため、精米に多くの玄米を要し、出来上がる白米が減少してしまった。
②インバウンド(訪日客)の増加
新型コロナウイルス感染症の罹患が落ち着き、急激にインバウンドが増加。これに伴い、米の消費量が上がっている。
③災害への備えとして米の備蓄
南海トラフ地震への備えが呼びかけられ、米を備蓄する家庭が多くなった。
④主食としての割安感
小麦を使った商品が値上がりするなか、米の主食としての割安感が出た。それにより米を食べる家庭が増えた。
⑤季節的な要因
新米が出るまでの秋口は、もともと米の流通量が一番低い時期にあたる。
以上、ネットや新聞、さまざまな報道からまとめてみました。それぞれの項目には異論もあるようですが、いずれにせよ、複数の要因があるのは確かでしょう。
米は本当に足りるのか
これに対して政府は、「新米の流通が本格化すればいずれは解決する」という見解。備蓄米の放出は否定し、時を待つ方針です。
その後9月に入ると、スーバーにはひさしぶりにまとまった数の米が入荷しました。(新米)の表示がある、千葉県産のふさおとめとコシヒカリです。
安いふさおとめのほうはあっという間に売れ。続いて、コシヒカりも姿を消しました。
新米が出てくれば品薄は解決する――。政府のコメントが当たったように見えますが、果たして、今後もこれでいいのでしょうか。
品薄の理由はそれぞれ「もっとも」ですし、すべてを予測するのは困難だと思います。一方で、どれも容易に起こり得ることばかり。生産量に余裕がないから、すぐに品薄になるようにみえてなりません。
新米が出てひと息ついても、この先何かあればまた品薄になるのではないか……。そんな不安が拭えないのです。
さらに品薄は、価格の上昇に直結します。市場の価格は需要と供給の関係で決まり、品薄であれば当然、価格が上がるわけです。
政府が備蓄米を放出したくない理由はこの「値崩れを嫌うから」という説もあります。値崩れは農家にとっては災難であり、農業の継続を難しくするのも確かです。
安易にとれる方法ではないことは理解しますが「新米が出ればすべて解決」というのも楽観的すぎる気がしてなりません。
実際、今年の新米は、昨年より3割前後価格が上昇。まさに家計を直撃しています。小麦の値上がりから、麺類やパンから米にシフトした家庭は、本当に何を食べればいいのか。追い詰められた気持ちではないでしょうか。
値崩れ同様、過剰な値上がりにも注意していく必要があります。
私にとっての米不足は、初めてではありません。85(昭和60)年と94(平成6)年の凶作では、米不足への対策として緊急輸入が行われ、今よりもはるかに大きな騒動になりました。
しかし、時を経て米が潤沢にある状況に戻れば、すぐに忘れてしまうのですよね。けれども、この繰り返しでいいのか。いまだ米の入荷が少ない現場に、あれこれ考えています。
人口減少社会にあって、米の需要が飛躍的に上がるとは思えません。けれども、常に生産量をかつかつにしていては、また同じことの繰り返しでしょう。
給食を提供する施設では、米の確保に問題は出ていませんか?
食の専門家である皆さんが、必要な食を患者さん、利用者さんに提供できますように。
今回、改めて米を巡る問題の複雑さを実感しました。今後も、関心をもって見ていきたいと思います。(『ヘルスケア・レストラン』2024年11月号)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある