食べることの希望をつなごう
第78回
おいしく食べる、楽しく食べる

皆さんは、食に関する思い出がどのくらいありますか?私は家族との思い出には、必ずと言っていいほど食にまつわるエピソードが浮かびます。おいしく食べるということ、楽しく食べるということを、食の思い出から考えてみます。

思い出される家族との食の思い出

私の父は、食道がんで亡くなりました。治療が難しくBSC(Best supportive care)の説明を受けた時、迷わず自宅へ戻ることを選び退院してきました。退院直前まで行っていた抗がん剤治療の影響もあり食欲はゼロに近く、食事はほとんどとることができませんでした。
そのうえ、胃がんのため胃切除していた既往があり胃ろう造設もできず、TPN管理で自宅へ戻ってきました。

父は自宅に戻ると、固形物はほとんど食べず、ミルクティーと経口補水液を飲む程度。24時間輸液がつながっていましたが、それでもなんとなく元気で、自分のやりたいことを自由にやっていました。「出かけられないから」と言ってグーグルマップで旅してみたり毎日晩酌を楽しんだり、量は少ないものの食べたいものを好きなように食べたりと、自由気ままに過ごせていました。また、家族全員が揃う夕食の時間は「皆で話ができるから」と、必ず食卓についていました。

父は、昔から割と料理をするほうで、今となっては嘘か本当かはわかりませんが、知り合いの飲食店を手伝っていたこともあるとのこと。
ドイツから親戚が来た時には生きたタコを自宅で茹でたこともありましたし、年越しそばの天ぷらは必ず父が揚げていました。お雑煮のおだしも父のお手製でしたし、数の子の戻し具合は、何度も味見をしてチェックしていた姿が思い出されます。お好み焼きにはもやしとイカが入っていて、チヂミのように薄っぺらくギュウギュウ押し付けて焼き、おしょうゆと七味で食べるのが父流でした。

行きつけのお店があった横浜中華街にも、よく出かけました。「福養軒」(2019年10月で休業)は、私が子どもの頃から家族で連れて行ってもらっていたお店で、なにかというと福養軒で集まっていました。フカヒレスープは必ず食べていて、父は味をまねたフカヒレスープを家でもよくつくりました。

オリジナルの中華スープもいろいろつくっていましたが、几帳面な父は、野菜を全部同じ大きさに角切りしていたのを思い出します。白菜のお浸しはこれでもかと水気を絞り、万能ねぎの小口切りはすべて同じ厚さになるよう切るなどこだわりがあり、包丁も自分で研いでいました。

父の母である私の祖母は102歳で亡くなりましたが、こちらも食べることも食べさせることも大好きな人で、恥ずかしながら、大学生の頃まで私にお弁当をつくってくれていました。よく覚えているのは「ヒコイワシ(カタクチイワシ)」のお刺身で、手でさばいたものをしょうが醤油で食べるのが大好きでした。
また、青梅をミキサーにかけて絞ったジュースを黒っぽくなるまで煮詰めた「梅エキス」は、祖母手づくりの万能薬で、ちょっと調子が悪い時に飲むと不思議と治ったものです(気持ちの問題もあると思いますが)。らっきょう漬けや白菜漬けも、祖母にくっついてつくるのを見ていました。祖母はたくあんが大好きで、入れ歯なのに薄く切って食べていたのを思い出します。
糠漬けは毎日必ず夕食の片づけが終わったあとにかき混ぜていて、私は、長いもの糠漬けやオクラの糠漬けが大好きでした。きゅうりとにんじんと大根としょうがの古漬けを千切りにして合わせたものもよく食べました。祖母は、ランチは自分で用意していたのですが、トーストにフレンチドレッシングで和えたキャベツとハムを挟んで食べていたことや、カップ焼きそばに「野菜が足りないから」と言ってキャベツや玉ねぎを入れていたのも、当時は、やけにおいしそうに見えたものでした。

思い出をヒントに食べる意欲を引き出す

入院患者さんからも、食に関する思い出(思い入れ?)はよく聞きます。舌がんの術後、摂食嚥下障害となった患者さんは液体にはとろみが必要で、適した食形態は日本摂食嚥下リハビリテーション学会嚥下調整食分類2021のコード2-2でした。
しかし、どうしてもおいしく食べることができず、食欲低下から気分が落ち込み、リハビリも進まず……という悪循環でしたが、スープストックトーキョーのオマール海老のビスクをきっかけに、食事がとれるようになりました。
上顎がんで術前化学療法を行っていた80代の女性は、地元では採れたての食材を使うのが当たり前だったとおっしゃいます。抗がん剤の影響もあり、「野菜も魚もおいしくない」と全然食事が進まず、ONSも口に合わず、輸液を併用することになりました。
どんどん元気がなくなっていき、ベッドで過ごす時間が増え、どうしたものかと思っていたところ、親戚の方が見事なキンメダイの煮つけを一尾お持ちになったのです。大変驚きましたが、ご本人はとても喜んでおられ、ほんの少ししか食べられなかったのですが、そこからは頑張ろうという気持ちが出てきたのか、治療を完遂。手術も受け、無事に退院となったことがありました。

このように、食事は身体の栄養だけでなく“心の栄養”でもあるということを実感することは、少なくありません。
食べたくない人に「食べろ、食べろ」と言うのは簡単ですが、実際に食べてもらうのはなかなか難しいものです。病院や施設などでは対応が困難であることも多々ありますが、食の思い出をきっかけに食事がとれるようになることもあります。
また、少しでも食べてもらうことで家族や介護者の気持ちも楽になったりする側面もあるように感じます。おいしく食べることが、すべての人の幸せにつながるようなサポートができたらいいなと思います。(『ヘルスケア・レストラン』2024年9月号)

豊島瑞枝(NTT東日本関東病院栄養部 管理栄養士)
とよしま・みずえ●大妻女子大学卒業。東京医科歯科大学医学部附属病院に入職後、2010年、東京医科歯科大学歯学部附属病院入職、24年4月よりNTT東日本関東病院勤務。摂食嚥下リハビリテーション栄養專門管理栄養士、NST専門療法士

TAGS

検索上位タグ

RANKING

人気記事ランキング