お世話するココロ
第167回
上司いろいろ

私が就職した当時の1987年、上司は看護婦長と呼ばれていました。それから時が経ち、2002年3月に看護婦(男性は看護士)という名称が看護師に変わり、看護婦長は看護師長に。これまでともに働いてきた上司を振り返り、今思うことをお話しします。

部下の目と上司の目

私は総合病院の常勤で2年間働いたのち、精神科病院に移ってからは非常勤看護師として働き、役職はありません。なので、自身の管理職経験は常勤で働いた最後の7年間で終わっています。

管理職になる前後で上司の見方にも変化がありました。一番は、上司に望んでいたことの多くが高望みだったとわかったことです。
たとえば、退職で欠員が出た際、1日も早く補充がもらえるよう、上司に頑張ってほしいと思いました。ところが、上司から返るのは「補充は頼んでますが、大変なのはうちだけではなくなかなか難しいのよ」という言葉。若かった私はそんな上司が受け入れがたく、同僚とともに反発したものでした。
その後自分が管理職になると、今度は自分が部下から突き上げられる立場に。「この人数ではやれません」と何度部下から言われたことか。そのたび私は、当時の上司と同じような返答をしていました。実際、人事の決定権は看護部長の権限。病棟看護師長には決定権がありません。自部署から見れば納得できない人事もありましたが、病院全体ではやむを得ない場合がほとんどでした。
ただ、以前の自分を思えば、部下が怒るのもわかります。部下は自分が働く場所しか見えません。結局、部下と上司の目は違うのです。

お手本になる上司

一度管理職を経験し、ともに働いた管理職への評価は多少甘くなったように思えます。それでも、お手本にしたい上司と、こうはなるまいと思った上司は基本的に変わりませんでした。
お手本にしたいと思ったのは2人目の上司。当時、私はまだ20代。何が素晴らしいかと言うと、私たちが困っている時には的確に救いの手を差し伸べてくれたのです。

ある時、一人の看護師が患者さんのターゲットになり、理不尽な攻撃を受けていました。具体的には、ケア中にわざと背中に嘔吐したり揚げ足を取って罵倒したり。それはそれは、酷いものでした。
それでも当時は言いたいことを我慢する傾向が強く、内輪で愚痴るのがせいぜいだったのです。
そんな患者さんの様子を見かねた上司は、「今日は自分がケアにあたる」と宣言。ほかの看護師をその患者さんに寄せないようにしたのです。
その日以降、患者さんの様子は明らかに変わりました。攻撃対象だった看護師には、多少当たりはきつかったものの、わざと嘔吐するなどの行動は改善。部下一同、心から感謝しました。
あの日、上司がどのようなアブローチをしたのか、今も謎のままです。「患者さんでも、やっていいことと悪いことがある」というのが彼女の持論。それをはっきり言ったのかもしれません。
ただ、言葉以上に大きかったのは、部下を守る上司の態度だったとも思うのです。なぜなら、この時の攻撃は明らかに弱い者いじめ。上司がしっかり目配せしているのを見せれば、風向きは変わるでしょう。

その上司は少し言葉足らずで、いきなり怒るという点もありました。でも、“ここ”という時には助けてくれる。こうした安心感は大きく、常に人望は厚かったのです。

反面教師となる上司

一方、反面教師になった上司とは、私自身、年齢が上がってからの出会い。その後昇格してからも記憶が生々しく、「あのようにはならないように」と気をつけました。その方とはいろいろあったのですが、改めて整理すると、「すぐに不機嫌になること」に尽きると思います。その不機嫌さたるや、ただごとではありません。
ムッと押し黙り、出てくるのは否定的な言葉ばかり。彼女の不機嫌が治らないかぎり対話ができません。そしてその不機嫌は、思わぬ事態を引き起こします。私も含め、皆か彼女の不機嫌を恐れるあまり、彼女の顔色をうかがいつつ働きました。
これではいい仕事ができません。顔色をうかがうあまり集中力が削がれ、安全が犠牲になります。
業務に集中できなければケアにも身が入りません。かくして上司の不機嫌は職場の安全を阻害し、ケアの質さえ低下させるのです。

彼女は、さまざまな業務レベルでは、破格に優秀だったと思います。誤字・脱字のない書類、完璧な物品整頓。部下の誰もが望むレベルに達しないと思っていたので、誰にも任せず、仕事を抱え込んではさらに不機嫌になっていきました。私自身、少しでも彼女の仕事を手伝い、負担を軽くできていれば、もう少し彼女もいいところが出せたのではないか。そう思うと、残念な気持ちが募ります。

しかし、一方でこうも思うのです。自分の機嫌を自分でとるのって「そんなに難しいのか?」ということ。私には、どうしてもそう思えません。言いたいことがあれば、きちんと言葉で言う。人間同士はこれが基本ではないでしょうか。不機嫌で人を圧迫して何かをわからせようというのは、幼稚なやり方。それが骨身に染みたので私自身は管理職時代、とにかく不機嫌にならないように気をつけました。
感情というのは、制御できないようでいて、自覚することでなんとかできるもの。この誓いだけは、かなり実現できたと思います。

あとにいくほど上司に厳しくなるが…

お手本になった上司と、反面教師になった上司。この2人には、私との関係で見ると、努力ではどうにもならない大きな違いがあります。
それは、年齢差。お手本になった上司と出会った時、上司は50代。まだ20代だった私との間には30歳近い年齢差がありました。一方反面教師になった上司との年齢差は10歳程度。やはり、年齢が近い人に対しては厳しくなるという面もあるように思います。
年齢差が人の評価に影響するとわかってからは、反面教師と感じた上司に対して前ほど否定的な感情を抱かなくなりました。互いに、出会う時の年齢差は選べませんから。
手本になった上司、反面教師になった上司。いずれも、あの条件で出会ってしまった運・分もあったことは、わかっておきたいと思います。

翻って現在はといえば、私が60代になっているのに対して、上司は40代。自分が年下の上司を厳しく見ているかと言えば、まったくそんなことはないのですよね。
今の上司には、私は本当に満足しています。まず、不機嫌かない。そして何か問題があった時にはすぐに患者さんと話しをし、必要ならば、きちんと頭を下げてくれる……。
実際、患者さんは、管理者の顔を見て話すだけで納得してくれることも多いのです。これは、本当に部下として助かります。

ちなみに、反面教師になった上司は、問題が起きても、自分からは決して患者さんのもとには行きませんでした。その代わり、細かな報告を求めるのでものすごく困りました。
ただ、今の私は、非常勤。常勤の頃に比べると、組織への組み込まれ方はずいぶんと緩やかです。その分、上司との関係も希薄と言えば希薄。だからこそ、よい点のみが見えている可能性も否定できません。
それでもやっぱり、私は今、上司に恵まれていると感じています。そのように感じながら働けること。これは、終盤にさしかかった看護師として働く日々において、大きな幸せとなっているのは言うまでもありません。(『ヘルスケア・レストラン』2024年8月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある

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