お世話するココロ
第142回
居宅支援とトイレの問題

訪問看護から病棟に異動し、ユニフォームも仕事の内容もがらりと変わりました。まだまだ慣れない日々ですが、いつでもトイレに行けるのは本当にありがたい。そして、改めて居宅支援者のトイレの確保も大切な課題だと再確認しました。

トイレの掟

2009年4月、訪問看護室に着任してすぐ、「利用者宅でトイレは絶対に借りないでください」と上司に言われました。
確かに、トイレはいつも掃除してあるとは限りません。訪問先で借りるのはマナー違反とすぐに納得しました。
その後、それは単なるマナーではなく、無用な刺激を避ける配慮なのだとわかりました。

ある男性のお宅に初めてうかがった時のことです。男性は私が部屋に入るとすぐに、こう言って予防線を張りました。
「あんまり部屋をじろじろ見ないでほしいんです。訪問看護が来る日は掃除していますが、そんなにきれいにはできません。トイレは絶対に入らないでください。昔、トイレを見られて、すごく恥ずかしかったので」
男性が訪問看護を受け入れるまでに、葛藤に苦しんだことがわかりました。改めて、利用者さんの気持ちを尊重しなければいけないと思った次第です。
では、移動中トイレに行きたくなったらどうすればいいのでしょう。頼りになるのはコンビニやスーパー、公園のほか図書館など公的施設のトイレです。
私は、移動中トイレに行く機会があまりなかったのですが、よく行く人によっては死活問題。移動中に立ち寄れるトイレのチェックを欠かさない仲間もいました。

このトイレの悩みは、訪問看護師だけの悩みではありません。居宅支援を行う仲間であるヘルパーさんやケアマネさんもまた、私たち同様、トイレには苦労しているそうなのです。
「私たちが掃除しているから、掃除した直後はきれいなんですけどね。かといって、使っちゃうわけにはいきません。以前どうしても我慢できなくて借りた人がいたんだけど、『外の人間が使ったトイレは使いたくない』と、あとから苦情の電話がきました。その時は断って使ったそうなんですけど、利用者さんって、難しいです。普段と違うことはしないのが一番」
ベテランのヘルパーさんは、そう言って苦笑しました。訪問看護に限らず、移動を伴い、他人の家にうかがう、居宅支援者にとって、トイレ問題は共通の悩みと言えるでしょう。

コロナの試練

改めて振り返ると、訪問看護室で働いている間、一番よく使われたのは、コンビニのトイレでした。多くは自由に使わせてもらえ、掃除が行き届いています。トイレットペーパーもあり、安心して使えます。
逆に敬遠されたのは、公園などの野外にある公衆トイレ。掃除が行き届かず、不衛生な所が多いのに加え、場所によっては、1人で行くのが怖い所もあるのです。
しかし、コンビニは公衆トイレではありません。あくまでも客のためであり、トイレだけを借りて出るのは気が引ける人も多いでしょう。私を含め、訪問看護の仲間は皆同じ気持ちでした。
コンビニでトイレを借りたら、ジュースでもお菓子でも、何か買わずに出られません。私もトイレを使ったら、そこで昼のお弁当を買ったりしていました。きれいなトイレを使わせてもらうなら、その程度の気遣いはしたいと思ったのです。

しかし、新型コロナウイルス感染症が問題になって以降、コンビニが人の出入りを絞り、トイレが借りられなくなりました。そうなると、頼れるのは公園の公衆トイレのみ。なるべくトイレに行かないで済むよう、水分を控える仲間も出てきたほどです。
この状況で困ったのは、支援者ばかりではありません。トイレが近い高齢者も、いざという時にはコンビニのトイレを使っていたようなのです。
ですから、コンビニのトイレがダメとなると、外出しない人が増えてしまいました。もちろん、感染が怖いというのもあるでしょう。実際、ステイホームが叫ばれた時期もあります。
しかし、密にならない、屋外の外出こそ、筋力低下を避けたい高齢者には、勧めたいところでした。それがどうしてもできなかったのは、コンビニのトイレがクローズしていたから。そうした要素が大きかったのです。
また、この時期、こんな事件もありました。ある公園のトイレは、訪問していた利用者さんが自ら命を絶った場所。今でも思い出すと、なんとか救えなかったのかとつらい気持ちになります。
事情を知っていると、そのエリアに入るのは、ちょっと……。そう思うのは申し訳ないのですが、やはりその周辺には誰も入れませんでした。

トイレ問題の展望

今年に入り、コンビニのトイレの話題がメディアで取りあげられています。きっかけは、今年2月から神奈川県大和市がトイレを市民に開放する協力コンビニ(「大和市公共のトイレ協力店」)の募集を開始したこと。
内閣府の調査で、高齢者が外出を控える原因として、外出時に使えるトイレが少ない、という理由が挙がり、これに対応するための施策だそうです。
報道によれば、協力店にはトイレットペーパーが提供されるとのことです。しかし現状では、市内に110店舗ほどあるコンビニのうち、協力を名乗り出たのはわずか9店舗に過ぎません。
協力できない理由としてコンビニのオーナーが語るのは、使用する客のマナーの悪さと掃除の大変さでした。なかにはトイレを汚して平気な人もいるそうです。本当に情けない話ですね。
また、トイレットペーパーが支給されても、置いておく場所が必要になるため、店の負担は大きいそう。確かにそうだと思いました。

では、トイレを貸すことで売上が増えるかといえば、トイレだけ借りる人が多く、売上にはつながらないとのこと。「トイレ掃除が嫌で従業員が辞めるのでは」との心配もあるそうで、これでは協力店は増えないと思いました。
自治体がコンビニを頼るのは、公衆トイレを整備する力がないからなのでしょうね。かといって、コンビニがそれを請け負えるかといえば、これも難しい……。
外出先での高齢者のトイレ問題の解決は、まだまだ難しそう。居宅支援者のトイレ問題もまだ続くのでしょう。
そんな折、通勤途中で道路工事の警備員さんの会話が聞こえてきました。
「あのコンビニは、いい顔されないから、なるべくトイレは借りないほうがいい。ちょっと歩いて、あっちのコンビニで借りるといい」「店員にもよるんだよね。若い子はいいけど、オーナーらしい男性だと、露骨に嫌な顔されるから」数人の警備員さんは、皆70歳くらいと見える男性ばかり。トイレが気になって外に出たくない人も出てくるような、まさにその年代の人たちでした。きっと、私たちよりもトイレ問題は切実なのではないでしょうか。

高齢社会では、外出先でトイレの心配がないことが特に大事になるのは間違いありません。コンビニという目の付け所はよかったかもしれませんが、やはりもっと負担を減らす手当てをしていかないと、市民にトイレを開放するコンビニは増えないでしょう。
出先で自由にトイレに行けるなら、私たちの仕事ももっと安心してできると思います。(『ヘルスケア・レストラン』2022年7月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある

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