お世話するココロ
第141回
58歳の部署異動

新年度を皆さんはどのように迎えましたか?私は、3月末で在籍する訪問看護室が業務終了。4月1日から病棟勤務となり、新しい毎日を送っています。

精神科病院の本丸に入る

思えば、私が今の病院に来たのは2009年の4月1日。2年間勤務した東京厚生年金病院(現・JCHO東京新宿メディカルセンター)を退職した翌日でした。
パートは原則異動がないため、ある年数を超えてからは、職場で一番の古株になりました。訪問看護室の業務終了は残念ですが、同じ病院で働けるのは本当にありがたいことです。

この病院に来た当時は、さすがに不安でした。総合病院から精神科病院への転職自体が大きな変化だったのに加え、配属先は、未経験の訪問看護室。業務内容はそれ以前と大きく変わりました。
就職するにあたって、特に希望は出さなかったのですが、実は病棟勤務しかイメージになかったんですよね。病棟での勤務経験しかなく、それが気に入っていましたから。なのに、配属先が訪問看護室と聞いて、若干抵抗感があったのは事実でした。
それでもお断りしなかったのは、週3日のパートという制限があれば、お役に立てる場所は限られるだろうと思ったからです。患者さんの入れ替わりが激しい急性期よりは慢性期がいいのでしょうし、その点で訪問看護室はうってつけなのだと理解しました。
もう1つの理由は、自分なら選ばなかった部署だったから。進路は風まかせにしたほうが、思いがけない所に行き着いておもしろいとも言えるのです。

今回の異動にあたっても、やはり希望は出しませんでした。そして配属されたのは慢性期男女混合病棟。訪問看護室同様、患者さんと長いお付き合いができる部署だといえるでしょう。
60床と大所帯の病棟で、長期入院の患者さんが多くいます。長い人だと、入院期間は10年超え。なかには30年近い患者さんもいます。
思えば、精神科の専門病院で働きたいと思ったのが、この病院を選んだきっかけの1つでした。以前の病棟は総合病院の中にある、内科や外科と同じ性質の病床。看護師は女性のみで、任意入院しか受けられません。
そのため、入院の受け入れは、女性のうつ病がメイン。まれに躁うつ病や統合失調症の人が入っても、調子が悪くなれば、精神科病院に転院をお願いしていました。
自分たちが手に負えなくなった患者さんを引き受けてくれる病院は、どんな所だろう。その先を見たい気持ちがいつもありました。
13年の訪問看護室勤務を経て、その願いがようやく叶います。不安はあっても、今は、いよいよ精神科病院の本丸に入ってきた。そんな楽しみな気持ちのほうが勝っています。

見慣れないユニフォーム姿

4月1日の朝、初めて病棟看護師のユニフォームに袖を通しました。昔ながらの白衣ではありません。スクラブという、襟なしの上着にパンツを組み合わせたユニフォームです。
訪問看護室にもユニフォームはあったのですが、紺のポロシャツとベージュのパンツ。よくも悪くもひと目で看護師とわかる格好ではありませんでした。
なぜなら、利用者さんのなかには、周囲に病気を伏せて生活している人もいるからです。なるべく医療者に見えない格好をするのは、訪問看護と気づかれない、カムフラージュでもあったのです。
それが今度は、いかにも看護師とわかるユニフォーム。改めて、「ああ、病棟に戻ったんだなあ」と不思議な感動が湧きました。病棟勤務のほうが長かった分、「戻った」という気持ちが強いのだと思います。

このように、意外に違和感なく始めたスクラブですが、訪問看室での私の姿しか知らない人には、不思議に見えるようです。
院内でばったり会う利用者さんはもちろん、職員の人たちも。馴染みの顔を見つけるたびに、「お!」と驚く表情を楽しみながら、挨拶を交わしています。
さらにおもしろいのは、以前訪問していた利用者さんたちとの一幕。スクラブ姿の私を見ると、皆さん一様に、「宮子さん、看護師になったのね」と声をかけてくれるのです。
「お宅にうかがっていた時も、看護師だったんですよ。ほら、訪問看護だから。看護師が訪問するから、訪問看護でしょう」
そう返すと、「そうね」と言いつつ、表情は今ひとつ納得していません。スクラブも、「看護師らしくない」と最初は不評だったと聞きました。やはり、看護師は白衣のイメージが強いのでしょうね。
私のスクラブ姿も、やがては皆が見慣れることでしょう。そして、訪問看護室時代のいでたちが忘れられていくのだと思います。

入院前の患者さん

また、病棟には2~3年前まで訪問看護でうかがっていた元利用者さんも、何人か入院しています。私はそれぞれの方が地域で暮らしていた様子もわかりますし、入院せざるを得なかった経緯にもかかわっています。
これは、患者さんを理解するうえでとても参考になっています。病棟看護師の仕事は、入院してからのその人とかかわること。それ以前の様子を知っている場合は、まずないのではないでしょうか。

入院の際に共通したのは、60代後半という年齢。そして、精神状態の悪化が急激な身体機能の低下につながったのも同じでした。
典型的な例としては、不安が強く、さまざまな身体症状を訴えるようになります。そして、地域の支援者への頻回な電話があり、それが警察や消防署への通報にまで発展した人もいました。
少しでも長く地域で暮らせるよう、ヘルパーやデイサービスなども追加しましたが、それでも病状はよくなりません。やむなく入院となった時には、私たち訪問看護師のみならず、ケアマネジャーや市役所の担当者など、支援者一同へとへとになっていたのです。
入院は長期化し、なかには心筋梗塞や肺炎などを併発し、いったんほかの病院で治療を受けて戻ってきた人もいます。
できれば短い入院で休養し、自宅に戻れるのが理想でしょう。しかし、実際には限界まで家で過ごし、二度と退院できない人も少なくありません。
理由としては、老化の面が大きいように思います。気分に波があって、億劫な時は布団に入ったきりになる人がいます。
若いうちなら少しくらい寝ついてもすぐに動けますが、歳を重ねると、一度落ちた機能は、なかな元に戻りません。

ある患者さんは、私が訪問していた看護師だとわかると、こう言いました。「訪問看護に来てくれていましたね。ありがとう、ありがとう。家はもう、ダメです。1人で暮らせません。ここがいいです。ここがいいです」。
訪問看護室時代は、少しでも長く家で暮らせるようにするのに一生懸命でした。当時の気持ちに照らせば、入院を強く希望する元利用者さんの言葉は、残念というほかありません。
しかし、入院前のその人を思い出し、今の落ち着いた様子と比べると、別の気持ちが湧いてきます。立ち上がれなくなったその人は、食べ物をすべて直に床置き。パンもおにぎりも、床に直接置いて食べていたのです。
今その人は、入居できる施設の空きを待っています。入院前を思えば、限界まで家にいたうえでの、今なのかもしれません。入院前を知っているからこそ何かできることはないか。そんな視点ももちながら、新たな部署で働きたいと思っています。(『ヘルスケア・レストラン』2022年6月号)

宮子あずさ(看護師・随筆家)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。精神科病院の訪問看護室勤務(非常勤)を経て、同院の慢性期病棟に異動。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に『まとめないACP 整わない現場、予測しきれない死』(医学書院)がある

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