Dr.相澤の医事放談
第25回
将来のビジョン・目標と
人としてのありようが大事
2月に開催された北京五輪では、多くのアスリートの頑張りが感動を呼んだ。相澤孝夫先生が理事長を務め医療法人に所属するスピードスケートの小平奈緒さんは、2010年バンクーバー五輪から4大会連続で出場。メダルには届かなかったが、気持ちのこもった滑りを見せた。
諦めずに最大限の力を発揮チャレンジする
――コロナ禍で北京五輪が開催され、スピードスケートでは相澤病院に所属する小平奈緒さんが4大会連続で出場しました。
人は完全にベストな状態で勝負に挑めるということはほとんどなく、さまざまな問題を抱えながらもそれを克服し、そのときの最大限の力を発揮して自分ができることにチャレンジをするのではないでしょうか。小平さんは競技生活のなかで、こういったことをずっと続けてきたのだと思います。
2018年の平昌五輪の500メートルで金メダルを獲得してから今回の五輪を迎えるまで、故障などを乗り越えてきたのですが、1カ月ほど前に足首を捻挫してしまったというコンディションのなかでレースに臨んだのは、やむを得ないことでした。
レース当日はテレビ観戦していましたが、一生懸命前に進もうとしているんだけど、力が全然氷に伝わってない感じでした。500メートルのときから本来の動きではなかったのですが、それで諦めるのではなくて、そういう状況でありながら最高のレースをするにはどうしたらいいのかを常に考えてやっていたと思います。諦めるのは簡単ですが、そうならない姿勢が大事。これは、スケートに限らずいろんなことに通じますね。
どうしてプロのアスリートを職員として病院に迎え、支えているのかとよく聞かれますが、大義などはなく、所属先を当院の地元で探しているというので「困っているなら助けよう」と思ったまでのことです。これまで努力を重ね、チャレンジしてきたのに所属先がないから続けられないというのはおかしなことであり、病院で一人を雇用するぐらいは何とかなります。
小平さんは病院の職員であり、周りの職員も仲間と思って応援しています。彼女の頑張りはわれわれの誇りであり、活躍している姿を見るとうれしい。仲間って、そういうものではないかなと思います。
自ら考えて乗り越える未来志向による取り組み
人のありようが病院という組織結束を強くしたり、大きな影響を与えるのですね。
一人の人間としてのありようが大事だと思っていて、病院でも企業でもそうですが、将来のビジョン、目標を持つことが大事です。そこに向かって努力をする組織を、まずはつくらなければなりません。
では、ビジョンや目標をつくったからそこに向かってどんどん進めるかというと、そんなにうまくはいかないものです。一段登ったら二段目がなかったり、大きな石があってどうやって登ろうかと考えたりといったことが、いっぱいあります。目標に対して、それを達成するためにどんな工夫をすればいいか。いつも前向きな気持ちで、物事をとらえることが正しいのです。
目標を達成するために挑戦してみて、うまくいかなかったときは次の手段を考えるという“ポジティブ”な未来志向で物事を進めていくことは、すべてのことに通じることです。乗り越えて前に進むためにはどうしたらいいかをいつも考えられる人でありたいと思います。
ビジョンというのは、単なる夢ではなくて“具体的”なものでなければいけません。慈泉会であれば、松本という地域を頭に描き、住んでいる方が、医療介護に関して安心できる地域をみんなでつくっていこうということを掲げています。
そのために急性期病院、在宅部門、高齢者住宅、健診・予防医療部門があるほか、運動障害を起こさずにスポーツが続けられる支援をする部門もあります。職員は、「安心という幸せを感じられる地域にする」を目標に、自分たちが持つ総合的な力を発揮してやっていこうと考えています。
ビジョンは施設ごとにあり、それに基づいて各部署が3年後の自分たちの姿を考えたビジョンをつくっています。まさに、小平さんが今回の五輪で最高・最大のパフォーマンスを出すために4年間積み上げきたのと同じように、各部署では、ビジョンを達成するために、僕らがわからないような工夫をいっぱいしているわけです。
自分たちで考え、乗り越えるたの未来志向による取り組みを、組織として実践しています。その柱がぶれなければ、みんなそこに向かっていくことができるのです。
――ありがとうございました。(『最新医療経営PHASE3』2022年4月号)
社会医療法人財団慈泉会理事長
相澤病院最高経営責任者
一般社団法人 日本病院会 会長
あいざわ・たかお●1947年5月、長野県松本市生まれ。73年3月、東京慈恵会医科大学を卒業。同年5月、信州大学医学部第二内科入局。94年10月、特定医療法人慈泉会理事長。現在、社会医療法人財団慈泉会理事長、相澤病院最高経営責任者。2010年、日本病院会副会長。17年5月より日本病院会会長。