お世話するココロ
第130回
医療者の価値観
医師が患者さんの生活指導をする際、そこには医師の価値観が反映します。これは、看護師も、栄養管理士も同様ではないでしょうか。最近そんなことを考えさせられる経験をしました。
猫好きの小児科医
私の猫好きは友人の間でも知られていて、猫の相談がいろいろ持ち込まれてきます。確かに私は猫が好き。天がそれを見越してか、手のかかる猫が来る運命です。
一昨年の夏に見送ったぐう吉は6歳から腎臓が悪く、18歳で苦労のない国へ旅立つまで、10年以上家で皮下補液をしました。そのあと4歳でわが家に来たもふこは並外れた臆病階段で足を滑らせて以来、階段を降りません。
もふこの2階暮らしは1年を超えました。寂しくなると2階で大鳴きするので、そのたび人間があやしに駆け上がっています。多分この先もこの生活が続くでしょう。
……と、猫の話をすると止まらないので、この辺でセーブします。今回の話は、そんな私に持ち込まれた、「猫を飼いたい」という相談がきっかけでした。
ある日、同世代の女友達から、「猫を飼いたいと思うんだけど、確か宮子さん、保護猫をもらったんだよね?どうすればもらえるのかな」との連絡がありました。
先代ぐう吉ともふこは同じ保護猫団体から引き取っています。また、ほかにも多少交流のある団体もあるのですが、このコロナ禍で、どこも活動は控え気味です。
そんな事情を説明しながら、ウェブサイトなどで譲渡会の情報があれば行ってみるよう勧めました。また、集まりがもてない分ンターネットでの里親募集を強化している団体もあります。なので、インターネットで見て気に入った子がいたら連絡を取るのもよい、と伝えました。
実は、彼女が「猫を飼おう」と思うまでには大きなハードルがありました。それは、お子さんの猫アレルギー。友人は、独身時代には猫を飼っていた猫好きでした。しかし、お子さんがアレルギーで、猫を飼うのを諦めていたのです。
以前彼女は私に言ったことがあります。「猫とか犬、動物を飼うのは、子どもにもいいと思うのね。人間より先に死んじゃうでしょう。悲しいけど、そういうのも含めて、いいと思うのね。だから、アレルギーは本当に残念」。
そんな彼女が「猫を飼う」と決めたのはなぜなのか。とても興味がありました。
彼女によれば、きっかけは、新しくかかった小児科医だったそうで、その医師自身も猫好き。「動物アレルギーだから動物が飼えないとはかぎらない。薬を飲んでアレルギーを抑えてでも、飼いたければ飼うのがいい」という考えだそうです。
動物の飼育に好意的な医師と出会ったことで、彼女も「猫を飼いたい」という気持ちが再度盛り上がったのでしょう。このような医師がいると知り、私もうれしくなりました。
その後、数ヵ月経ちますが、今のところ猫を迎えたという報告はありません。今の家族構成で初めて迎える猫。いろいろ考えれば、難しいこともあるでしょう。
このまま立ち消える可能性もありますが、それでも、こうした話ができたのは、ご家族にとってもよかったと思うのです。
医療者もそれぞれの価値観
この一件があり、改めて、患者さんに求める生活には、医療者の価値観が強く反映することを再認識しています。これまでに見聞きした事例を思い返すと、思い当たる話がいくつもあります。次に、思いつくままに挙げてみます。
事例1
私が就職した時ですから、もう30年以上前になります。一人暮らしの元芸者さんが、喘息で内科病棟に入退院を繰り返していました。その人は、大の犬好き。家には数匹の犬がいて、家政婦さんがお世話していたそうです。
主治医は40代の男性で、彼女とは長いつき合いでした。一時的に人工呼吸器を使うくらい病状が悪い時期もありましたが、回復しては犬との暮らしのために、自宅へ帰っていたのです。
20代の私は、「犬の毛は喘息によくないですよね」と主治医に尋ね、大笑いされました。「そりゃあ、当たり前だよ。言うのも野暮ってもんだ。でもあの人は、犬のために生きているんだからね。仕方ないよ」。
その医師自身は、何によらず、「人の好きなものはやめろと言わない」人でした。犬しかり、酒や煙草しかり。まじめな看護師からは、「先生、もう少しまじめに指導してください」などと言われていて、当時の私もそう思い、腹を立てたりしていました。
今は、その医師の考え方がよくわかります。人間は悪いと思っていてもやめられない、弱さをもっているのです。
事例2
これも内科病棟の話です。進行がんで入院してきた自営業の男性が、個室で帳簿を広げ、根を詰めて働いていました。痛みが強く、かなりつらそうです。看護師が休むよう勧めても聞き入れません。
この状況について、看護師の問でも意見が分かれました。「体力が消耗するし、明らかにつらそうだから、休むように働きかけたほうがいい」という人もいれば、「休んだところでがんそのものがよくなるわけではない。本人がやりたいようにやればいいのではないか」という人もいたのです。
私は当時30代で、どちらかといえば、前者の考えでした。けれども、50代も終わりになる今、明らかに後者の考えに傾いています。多少身体に障っても、やりたいようにやってほしい。本当につらければ、本人が休むでしょう。
事例3
精神科訪問看護では、さまざまな事情で掃除や片付けが行き届かない家を訪れる機会が多くあります。その際、どこまで掃除や片付けをするよう勧めるか。これは看護師によって大きく違います。
そして、きれい好きな人ほど掃除を勧め、ずぼらな人ほど気になりません。これはもう、個人の限界。耐えられない人は耐えられず、気にならない人は気にならないのです。
なかには、利用者さんに嫌がられるほど、掃除や片付けを勧め、無理矢理やってしまう人もいます。その結果、「二度と来るな」と拒否されたりもしますが、結局は同じことの繰り返し。人間の感覚というのは、そうそう変わらないものなのです。
こうして振り返ってみると、私たちは自分の感覚で、患者さんに働きかけています。自分がよかれと思う方法を勧めるし、こうなってほしいと思う方向を示したりするのです。
このこと自体は、決して否定されるものではありません。逆に、いいと思えない方法を勧めたり、こうなってほしいとは思えない方向を示すのは、不誠実でしょう。
ただ、個々で大事なのは、誰もが自分のように感じたり考えるとはかぎらないとわかっておくこと。私はこう思うが、別の人は違うかもしれない、とわかっておくことが大事です。
前述したアレルギーの子どもにも猫との暮らしを諦めさせない小児科医は、その人自身が動物との暮らしに価値を置いています。私もそれに共感するから、いい話だなあ、と思う。しかし、動物に関心がない人にとっては、ちょっと危険な提案になるでしょう。
食の専門家である管理栄養士の皆さんの場合、ご自身の食べ物の好みが、献立や食事指導に反映することはないのでしょうか。とても興味があります。
一方で、私たちはプロとして、自分の考えや好みだけで走らぬようにしなければなりません。そのためにも、自分の好みを知っておくことは、大切なのです。(『ヘルスケア・レストラン』2021年7月号)
みやこ・あずさ●1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業後、2009年3月まで看護師としてさまざまな診療科に勤務。13年、東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。博士(看護学)。現在は精神科病院の訪問看護室に勤務(非常勤)。長年、医療系雑誌などに小説やエッセイを執筆。講演活動も行う。看護師が楽しみながら仕事を続けていける環境づくりに取り組んでいる。近著に「宮子式シンプル思考 主任看護師の役割・判断・行動力」(日総研出版)がある