介護業界深読み・裏読み
菅政権の誕生に社会保障施策の行方を考える
介護業界に精通するジャーナリストが、日々のニュースの裏側を斬る!
7年8カ月という長期政権を率いた安倍晋三氏の辞任を受け、菅義偉氏が第99代内閣総理大臣に就任した。菅氏が自民党総裁選出馬時から「目指す社会像」としていたのは、「自助・共助・公助、そして絆」だ。使い古されたようで、こ無沙汰にも感じるこの言葉づかい、読者の皆さまはどのようにお感じだろうか。菅氏が「自分でできることは自分で」と発言したことをとらまえて、左派を中心に、菅氏が自己責任論を強めていくようなキャンペーンを張ろうとしているが、これは些か短絡的というか、意図的過ぎると言わざるを得ない。
そもそも「自助・共助・公助」と言えば、社会保障に関係する人なら誰もが思い浮かべる地域包括ケアの理念を飾るフレーズだが、この背景には財務省の意向が強く反映された「社会保障と税の一体改革」があったことを思い出される方も多いだろう。財務省はとかく介護関係者には嫌われていて、報酬削減の権化のようなイメージだが、あながち間違いではないにしても的を射てはいない。財務省がこれまで訴えてきた社会保障改革は、極めて雑な言い方をすれば、社会保障制度をセグメント化して、濃淡をつける作業を繰り返し、財政を適正化すること。このフレーズを菅氏が選択したことに意味がある。安倍政権を主導していたのは、官房長官だった菅氏らであったと同時に、菅氏との確執も報じられていた今井尚哉補佐官はじめとする経産省幹部だった。
安倍政権がデフレからの脱却を掲げてきたことを思えば当然と言えば当然だが、一方で財務省は雌状の時を過ごしたとも言われている。経産省は「稼ぐ」ことが命題。勝ち組をどうブーストするかに腐心する裏で、社会に強い光と闇のコントラストをもたらした。菅政権はあくまで安倍路線の継承をうたってはいるが、このタイミングでバランスを補正する考えがあっても不思議ではない。その意味で、菅氏の「自助・共助・公助」はむしろ、勝ち組負け組の延長にある自己責任論のような単純な話ではなく、財政も手堅く視野に入れた社会づくりを政権主導でめざしていく宣言と捉えるべきだろう。安倍政権が、極めて強いスローガン・ポリティクスとでもいうべき手法だったのとは対照的な、地に足のついた姿勢と言える。
菅氏は官房長官だった頃から介護分野に一定の関心を示してきた。この背景には、日本医師会の横倉義武会長(当時)が、安倍首相や麻生太郎財務大臣と懇意だったこともあり、菅氏のなかに「介護は自分だ、という感覚があったのかも」(社会部記者)とされる。首相就任すぐに扱う予算編成で、令和3年度介護報改定が大きなテーマの一つになる。菅氏のめざす社会保障の一端を伺う良い機会になるだろう。
あわせて、厚生労働関係の閣僚人事にも触れたい。厚生労働大臣を2度にわたって務めた加藤勝信氏が「ポスト菅」の内閣官房長官に、後任には田村憲久氏が返り咲いた。加藤氏は、財務官僚出身であることから、一部報道では「管氏が財務省へのメッセージとして登用した」とされているが、永田町ではそれほど財務系議員というイメージはない。むしろ安倍前首相の側近であり、「官邸の人」という印象。どちらかといえば安倍氏に対する「路線継承」のメッセージということと、加藤氏自身の資質を評価したと見るべきだろう。
田村氏は、過去にも厚生労働大臣を務めた経験があり、いわゆる厚労族議員では事実上のドンと言える存在。現場の実情もデータも踏まえた実力派だ。菅氏とは同期の間柄だが、石破派に属していたことで人事のうえでは必ずしも優遇されてきたとは言えない部分もある。石破茂氏が総裁選で最下位に甘んじたことから派閥の今後が懸念されるなか、菅氏にしてみれば、実質と政治的狙い(石破氏からの引き剥がし)の一石二鳥を狙った人事と言えるだろう。
国民の声でよく聴くのが、「菅さんは誠実そうだけど、安倍さんほどの実行力はどうか」というもの。この心配はまったくとんちんかんで、菅氏は稀に見る戦略家だ。誰よりも権謀術数に長け、かついざというときには強引に突破する力ももっている。来年秋までのワンポイント登板などあり得ない。師と仰ぐ梶山静六氏(平成12年没)が辿り着けなかった総理総裁のいすに座り、菅氏が次にめざすものは何だろうか。(『地域介護経営 介護ビジョン』2020年11月号)
あきの・たかお●介護業界に長年従事。フリーランスのジャーナリストとして独立後は、ニュースの表面から見えてこない業界動向を、事情通ならではの視点でわかりやすく解説。